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●富士山 ふじさん

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 富士山は標高3,776mと日本最高の山である。底面直径約56km,体積1,400立方kmに及ぶ世界でも著名な円錐成層火山である。頂上には直径500m・深さ250mの火口がある。等高線は頂上付近では同心円状であるが,中腹以下では北北西から南南東に至る線を長軸にした楕円を描いている。これは山腹にある百を超える寄生火山や火口,さらには山の割れ目の半分以上がこの線に並んでいることに関係があるものとされ,またこの方向は富士山地下深部の張力割れ目の方向でもあるらしく,富士山の噴火といえば古くからこの割れ目を通じて起こっていると言われている。

 円錐成層火山である富士山の高さが3,776mにも達していることは,通常火山による造山活動の常識を超えたものであるから,その理由の解明は火山学者の主要な研究課題であった。このなかで今定説となっているものは(沖尾弘達氏説)富士山は時間を異にして,同じ場所に発生した三つの火山が重なり合ってできた山であるという。すなわち今から数十万年前にまず小御岳火山が火山活動を始めた。富士山の東南にある愛鷹(あしたか)山も火山活動をしていたころで,小御岳火山のその活動の過程で2,400mくらいの山を形成した(標高の高い高原上で噴火したから)。以後長い期間めだった火山活動は見られなかったが,今から数万年前小御岳火山の中腹付近で活発な火山活動がおこり,小御岳を覆うように2,800mくらいの山が形成されたと言う。これを通称古富士火山と呼んでいる。古富士火山に続き,今から1〜2万年くらい前,古富士の山頂付近から噴火が発生し,噴火活動・噴出物は古富士の上に1,000mくらい堆積して現在の富士山が形成されたと言うのである。これを新富士火山と呼んでいる。三つの火山が重なり合って富士山が形成されたというのは,以上述べた小御岳・古富士・新富士の三つを指している。

 こうして3,776mもの円錐成層火山である富士山が造られたのであるが,歴史時代に入ってからの富士山の火山活動は,記録によれば大きなものに三つあった。一つは800年(延暦19)の噴火で,これは富士山頂付近で爆発,大量の火山灰や軽石などを噴出したと言われ,この火山灰などは折柄の偏西風に流され,富士山東麓に降下し,また,そのころの東海道は足柄峠を越えて関東に通じていたのであるが,その東海道を埋めつくし通行不能になったため,これに代わって東海道は箱根路が開かれるようになったと伝えられている。続いて発生した火山活動は864年(貞観6)の噴火で,これは富士山の北北西に当たる中腹付近で発生したものであった。この噴火はその付近の寄生火山である長尾山あるいは片蓋山のいずれかに関係のあるものであったろうと言われている。

 この噴火は延暦19年の噴火の噴出物とは異なり,大量の溶岩を噴出したものと言われ,噴出した溶岩は北北西の山麓に流れ下り,当時その付近にあったというサ※注1※の海(湖)に流れこみ,いまの西湖・精進(しょうじ)湖・本栖(もとす)湖の三つに分断したという。これらの湖がかつて一つの湖であったという証拠は,これら湖水の湖面の標高が同じであるという理由があげられている。また富士山西北麓に発達を見る青木原樹海はこのときの溶岩流の上にできたものである。次の噴火は1707年(宝永4)の宝永噴火で,同年12月16日(太陽暦換算)に発生した噴火は同年末まで続き,富士山東南側の中腹に巨大な噴火口と噴火した土砂を堆積した宝永山とがその後に残っている。このときは火山灰などを噴出したもので,御殿場,小山の付近の村々は飛散する軽石で家屋は焼かれまた火山灰は田畑を埋め,上空高く吹き上げられた火山灰によって江戸市中は昼でも行燈が必要であったと言われている。またこの噴火は噴火口の東側に当たる須走から標高1,500m地帯の植生を変え今もって回復していない。

 植生と言えば富士山には高山植物や高山鳥も少ない。これは氷河期以降にできた新しい山であるからと言われ,また富士山は年降水量2,500mmを超える多雨地帯で,この雨は透水性の強い地面に浸み,伏流水となって富士宮・三島・小山・富士吉田などで湧出し,忍野八海・白糸滝など有名である。また富士山には八百八沢と言われる沢が発達,その最大のものが富士西南側に見る大沢で,大沢くずれは最近とみに崩壊が著しく,富士山の山形を変えるのではないかと砂防工事が行われている。

〔参考文献〕富士急行編『富士山』

富士急行編『富士山麓史』

『富士山叢書』浅間神社

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