●府県会 ふけんかい
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府県会は,1878年(明治11)に制定された府県会規則(明治11年太政官布告第18号)によって,自治体である府県に初めて公選議会として設置された。【府県会規則】1878年(明治11)に,わが国の地方制度上画期的な三新法が制定され,大陸系の地方自治の制度が一応整備された。府県会規則は,郡区町村編制法・地方税規則とともに,三新法の一つとして制定公布された。地租改正の進行,自由民権運動の進展により,地方制度の体系化の一環として府知事・県会の諮問機関としての府県会を設置せざるを得ない状況が生まれたのである。府県会規則では,府県会を構成する議員については,満25歳以上の男子で3年間その府県に居住し地租を10円以上納入する者のなかから選ばれることになっていた。選挙権は,満20歳以上の男子でその郡区内に本籍をもち地租を5円以上納入する者に与えられた。このような制限選挙に加えて,投票は記名式を定めていたから府県会の議員の選出は地主層に有利であった。府県会の権限については次のように定めていた。府県会の権能は予算・決算の議決・承認に限られ,議案は建議できるだけで提出権はなく,また議決の施行には府知事・県会の認可が必要であった。府県会の権限はこのように弱く,府知事や県会の強力な統制下に置かれしかも内務大臣に死活の権を握られていたが,自由民権運動の激化とともに府知事・県会との対立が深まり,岩倉具視が府県会中止の意見書を提出するほどの活躍もした。府県会規則は,このような事態に対応して9回改正された後1890年(明治23)の府県制の制定で廃止された。
【府県制と府県会】1890年(明治23)に制定された府県制により,府県は自治団体としての権能と組織を確立した。府県の主機関は,府県会と府県参事会,および両者の議決の執行や府県有財産・営造物の管理などを行う府県知事であった。府県会は,府県内の郡市(市では市会および市参事会,郡では郡会および郡参事会)で選挙した議員をもって組織されることになっており,府県会議員の選挙は間接選挙であった。この規定は,1899年(明治32)の全文改正で大幅に改められ,府県は公法人格たることを明定されるとともに,府県会議員の間接選挙法も改めて直接選挙法となった。その後も府県制は数度の改正を重ね,1926年(大正15)には府県会議員の選挙は普通選挙制となった。さらに,1929年(昭和4)には,府県に自治立法権が与えられ府県会の権限も拡充された。この間首長は依然官選知事のままで,戦時下に入ると知事の権限強化の方向で改正が行われた。
【第二次世界大戦後】1947年(昭和22),日本国憲法に基づく地方自治法が制定・公布され,府県制は廃止された。地方自治法は,市町村とともに普通地方公共団体として都道府県の設置を定めた。都道府県は,戦前の府県とは違って市町村に対する上級の団体ではなく対等の関係に置かれることになった。府県会にあたる都道府県議会は公選された議員で構成され,条例の制定をはじめとする自治立法権を行使し,知事とともに都道府県の運営の中枢機関となっている。首長である知事の公選制も実現した。
都道府県議会と首長である知事とは,それぞれ住民の直接選挙で選出され,アメリカ合衆国の大統領制に似ており,議会と首長との間には,首長が議会の議決に対して再議を請求することができる制度を設けている。また,議院内閣制の制度も導入されており,議会は首長の不信任を議決できるのに対し首長は議会の解散を決定することもできる。
住民自治の原則に基づいて制度化された住民の直接請求権のなかには,議員の解職請求や議会の解散請求も含まれており,住民の意思に基づく議会の運営の原則が徹底している。都道府県議会は,地方公共団体の議会の解散に関する特例法により,自ら解散を決定することができるようにもなっている。