●福羽美静 ふくばびせい
アジア 日本 AD1831 江戸時代
1831〜1907(天保2〜明治40)幕末明治初期の国学者・神祇官僚。石州津和野藩士。石見国鹿足郡木部村出生,父美質,幼名文三郎,号木園。18歳で藩学養老館入学,その後1853〜1857年,大国隆正門に学び,1862年(文久2)諸藩尊王の志の発揮。長州藩尊王派と連携を策す。明治維新直後神祇事務局に務め,祭政一般・神祇官設置に際して即位式等に関与し,宣教師の実権を掌握する開明的神祇官僚として活動,1871年(明治4)ごろより大教宣布運動の不振打開のため宣教次官事務となる。そのあと神祇方格下げにより,平田派よりの福羽批判が進む。しかし,彼は1872年(明治5)3月,教部大輔,彼は尊攘主義否定の人物で開明化に努め西洋文明摂取に努力する。同年5月罷免。その結果,神祇行政より平田派後退。その後歌道御用掛・文部省御用掛を務め,1885年(明治18)元老院議員,1887年(明治20)子爵,1890年(明治23)貴族院議員。著書には『古事記神代系図』『人事百話』『国民の本義』その他多数。