●副食物 ふくしょくもつ
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主食にそえて食べるもので,おかず・お菜とも言う。数を揃えるところからお数と言い,お菜は添えの変化したものと言われる。現在は主食が米やパンなど澱粉質のもの,副食が肉類や魚類・野菜などを用いて種々調理法によって変化させたものである。このように主食副食がはっきり区別されるようになったのは,米を主食とするようになってからとされる。副食物は,主食である米やパンにない栄養を補い,健康を維持するようなものでなければならない。平安時代,米を日常食としていたのは貴族や上層の武士・町人などごく一部の人たちだけで,一般庶民は雑穀や雑炊・かて飯などで,そのほかの食品も食糧として食べ主食副食のはっきりした区別はなかった。江戸時代にはその封建制度下にあって,日本人の8割を占める農民は,たびたび出される禁令によって生きていけるぎりぎりの線まで追いつめられた。農民が働くのは自分自身のためではなく,領主のため・年貢米を納めるためであった。幕府の禁令は諸藩もその例にならい,百姓は年貢米のほか,自分達の食べる雑穀をつくること,婚礼などの行事のあるときも一汁二菜までとすることなどきびしく制限され,副食物によって栄養補給をするなど考えられる状態ではなかった。【日本人の食習と副食物】明治時代まで日本人は自給自足の食生活であり,その基本は主食の米飯に味噌汁,大根青菜の漬けものであった。輸送機関の発達した今日でもそれは日本民族の長い間の食習として,容易に食膳から消え去ることは考えられない。平常食も晴れ食もこの主食と副食を基本とし,平常は雑穀やかて飯の一汁一菜でも,晴れの食事は米飯の主食に副食の皿数を増やすことが行われる。または地域によって季節によって用いる食品が異なり,調理法にも郷土色がある。稲作の不向きな山間地帯や寒冷地帯では1945年(昭和20)ころまで,少量の米に麦・粟・稗・大豆などの雑穀を混入し常食としていた。これを東北地方では二穀飯とか,三穀飯あるいはいとこ飯(従兄弟飯)と称している。かて飯は米に大根・じゃがいも・干し葉・山菜・昆布などを混入する。晴れ食では主食が餅料理になることが多い。
【平常食と晴れ食】一般に平常食は副食物にあまり変化がなく,味噌汁に漬けもののほか,焼魚・野菜の煮物・納豆などの繰り返しの献立である。晴れ食は行事食であり昔から伝統的な料理が副食となる。これは日本料理の場合は一定の献立があり,膳の食器も決められていて二の膳まで並べられることもある。晴れ食には仏事も含まれこのときは仏教上の思想から肉食は避ける習わしである。平常食も晴れ食も副食物には季節の食品が多く用いられる。魚類も野菜類もしゅんのものを食するが味も最高である。青森県の下北地方では冬の鮭は最も味がよく,正月料理には欠かせないものとなっている。
野菜類も季節のものを存分に食するが,冬季間は貯蔵品として秋口から準備しておいた塩漬け・乾燥食品などを用いる。ことに寒冷地である東北地方は,自然の恵みのある期間も少ないことから野菜や山菜類の貯蔵品がよく考えられている。野菜の漬けものは食べる時期に合わせて塩分を加減し,冬期間の副食物としてまたお茶菓子代わりとして各家庭で手づくりをした。漬けものと味噌汁だけでも結構楽しい食事ができた。山間地帯では山菜料理を主体とし,季節によってわらび・ぜんまい・ふき・うど・たけのこ・きのこなど山の自然の恵みを十分に利用した。沿岸地方では豊かな海の幸を存分に利用し,季節ごとに大量に貯蔵しておくことも行われた。こうしてそれぞれの地方色が食膳をにぎわした時代も過去のものとなり,栽培技術・食品の加工技術・輸送力の発達した現代では,副食物は主食にない栄養分を補うものとして,季節を問わずにあらゆる食品が同じような調理法で食膳に並ぶようになった。日本在来の食習もすたれ,欧米並みの食事が都市でも農村でも画一的に行われるようになったが,しかし一方では従来の日本食が見直され始めている。