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●フォッシュ

ヨーロッパ フランス共和国 AD1851 第二共和政

 1851〜1929 第一次世界大戦時の連合軍総司令官。フランス,タルプの旧教保守派の家に生まれる。1873年,パリ理工科大学(エコール=ポリテクニク)卒業。1894年,中佐,陸軍大学(エコール=シュペリエール=ド=ゲール)教官として戦略論を講義。その内容を『戦争指揮論』(1897),『戦争原論』(1899)の2冊にまとめた。1907年,陸軍大学長に就任。1914年,第一次世界大戦勃発後,第9軍団を率いて,マルヌ会戦でドイツ軍を撃破。西部戦線膠着後,北部方面司令官となり,1915年,アルトワ,1916年,ソンム会戦の戦略と指揮にあたる。1917年,ペタン将軍の後任として参謀本部長官。1918年4月,クレマンソー首相により在フランス連合軍総司令官に任命される。同夏,西部戦線でドイツ軍に反撃,11月11日休戦条約をドイツ側にのませた。しかしライン左岸のフランス領化とドイツ軍完全武装解除という彼の主張が通らなかったパリ講和条約を激しく非難した。戦後,勝将軍としてアカデミー=フランセーズ会員など数々の栄誉を受け,1929年逝去後,廃兵院に埋葬された。『1914〜1918年世界大戦史回想録』2巻(1931)を著す。