●フェビアン社会主義 フェビアンしゃかいしゅぎ
ヨーロッパ 英国 AD
フェビアン主義ともいう。フェビアン協会の主張した社会主義。おもに新中間層出身の知識人よりなる,調査・研究・教育・宣伝団体たる協会が発展させた議会主義,漸進主義をとる計画的な社会主義および政策。労働党の頭脳の役割を果たして,福祉国家の基礎づくりに大きく貢献し,非マルクス主義的なイギリス特有の社会主義の代名詞となった。【フェビアン協会の発足と推移】1870年代の大不況下,深刻な社会問題が表面化し,自由放任主義への不信とコレクティヴィズムが台頭するなか,1880年代,社会主義が復活した。歴史的に重要な2団体のうち,マルクス主義を導入したハインドマンらの「民主連盟」(1884年「社会民主連盟」に改称)は1881年発足し,1884年1月,F.ポドモア,E.ピーズ,H.ブランドら無名の青年達の,道徳改革と社会改造をめざす「フェビアン協会」が設立され,直後加入したバーナード=ショーとシドニー=ウェッブがしだいに指導権を握った。名称は,ローマの将軍ファビウスの“待機と激しい一撃”の戦略にあやかって採用された。集会,講演会を催したり不定期小冊子“Fabian Tract”を発行しはじめたが,1887年綱領で,土地・資本の社会的所有による社会改造を,社会主義的見解の普及によって達成することを定め,1889年末,ショーの編集した『フェビアン論集』を刊行,一躍声価を得た。協会ははじめ,労働者階級の運動および政党の意義に懐疑的で,理論や政策を進歩派の政治家(とくに自由党自由帝国主義派と接触)や他団体,地方議会,地域・中央機関,知識階級に“浸透”させていく方針をとり,独立労働党の結成(1893),労働代表者委員会の成立(1900年,1906年,労働党)に消極的だったが,第一次世界大戦時,労働党と緊密になり初めて社会主義を掲げた党綱領(「労働党と新社会秩序」1918)をウェッブが起草し,協会も1919年,修正綱領で,労働党の構成要素であることを明記した宣伝・調査・立案・出版活動団体となって,労働党の頭脳として貢献した。1920〜30年代,ウェッブ夫妻たちは,マクドナルド労働党内閣に幻滅し,マルクス主義へ傾斜していき協会は低迷したが,G.D.H.コールら新フェビアン調査局の復帰(1939)後,再び活発になり,アトリー内閣時,最盛期を迎えた。だが1950年代以降,政策の実現と労働党の不振は,フェビアン主義を厳しい内的外的批判にさらしている。
【特徴】フェビアン社会主義は聖典なき社会主義といわれるように折衷的で,被影響者もJ.S.ミルの急進主義,ダーウィンらの社会進化論,リカードの地代論,ジェヴォンズの限界効用論,H.ジョージの土地単税論など多様で,協会の思想・理論に明確な統一はないが,共通項として以下のものをあげうる。[1]民主主義性−民主国家化,立憲的・平和的改革を重ねての社会主義の達成。[2]漸進主義性−既成制度に具現ずみの規制を連続して計画的に拡張・推進する。[3]不労所得(地代・利潤・利子)の公有化と再分配−土地・資本私有制の漸次的公有化と累進課税の徴収,産業・サービスの消費者管理。[4]ナショナル・ミニマムの確保−余暇,教育,慈善の国家的規制または援助による保障。[5]行政国家化の強化−専門家的地方,中央官僚行政による改革の推進。批判されてきたのは,労働者の自治管理の否認,エリート主義的・官僚主義的強権国家化,イギリス帝国主義への追随,社会改良主義としての限界性である。〔参考文献〕N.& J.マッケンジー,土屋他訳『フェビアン協会物語』1984
M.ベア,大島訳『イギリス社会主義史』4,1975,岩波文庫
関嘉彦『イギリス労働党史』1969