●フェニキア
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古代の地中海において,ギリシア人に先立って植民・貿易活動で活躍した商業民族および彼らの拠点となったシリア海岸中・南部の総称。【フェニキアの土地と住民】地名としてのフェニキアは,通常,北方をオロンテス川,東方をレバノン山脈,南方をカルメル山,西方を地中海に囲まれた南北に細長い地域をさす。沃野は少ないが良港に恵まれたため,住民は多く海上に生活の資を求めた。またその港市は,背後のレバノン山脈で良質の杉を産するため,木材取引でも栄えた。このレバノン杉は船材として利用され,フェニキア人自身優れた造船術・航海術で有名であった。このほか,フェニキアは貝を原料とする緋色染料を特産とし,各都市の織物染色工場では緋染毛織を独占的に経営した。フェニキアの名称の由来も,こうした自然的経済的条件からさまざまに解釈される。一説では,ギリシア語で“棕櫚の地”をさすとも,商人のまとう外套の緋色をさすともいわれ,またエジプト語で“船大工”をさすともいわれる。
フェニキア人は,アラム人やへブライ人とともにカナーン系のセム語族に属するが,その地理的条件から古来民族移動の経路となり,またメソポタミアとエジプトの中間に位置したため,つねに大国間の勢力角逐の場となって混血は著しく進んでいた。
【フェニキア人の都市国家】フェニキア人は多数の都市国家を建設したが,各都市には王がいて互いに対立し合い,民族が政治的に統一されたことは一度もなかった。その都市国家は大きく三つの群に分けることができる。すなわち,北部のウガリット(現ラス=シャムラ)を中心とする地域,中部のビブロス=ベリトス(現ベイルート)・シドン(サイダ)の地域,南部のティルス(テュロス)中心の地域である。このなかで最も早くから栄えたのがウガリットとビブロスで,ビブロスはすでに前20世紀にエジプトと交渉をもっていた。前15〜13世紀には,両都市の指導下にフェニキア都市同盟を形成し,エジプト,メソポタミア,クレタを結ぶ仲介貿易に活躍した。それは文化面にも反映され,特異な融合文化が形成されたことはウガリットの発掘で明らかになった。しかし,ミタンニ王国が滅び,バビロニア(カッシート朝)が衰えると,シリアの支配をめぐってヒッタイトとエジプトが激しく争い,フェニキア諸都市は没落した。ところが,前13世紀末のいわゆる“海の民”の侵入により,エジプト,ヒッタイトが弱体化すると,再びフェニキア都市が台頭し,シドンとティルスを中心にフェニキアの最盛期を迎えることになる。
【フェニキア人の海上覇権】前12世紀半ば以降,初めて完全な独立を手にしたフェニキア諸都市は,積極的な交易・植民活動に乗り出した。早くも同世紀末には,イベリア半島南端のガデスに最初の商館を設置し,現地の銀鉱を独占するとともに北欧の琥珀や錫を輸入した。前10世紀までに,シチリア,サルディーニァ,北アフリカ,キプロス,ロドスなどの各地に貿易中継基地を建設したが,それとともにティルスの指導権も確立した。前10世紀のティルス王ヒラム1世は,イスラエルのソロモン王と協定して紅海通過権を得,西南アラビアやアフリカ,インドの貿易を独占したほか,前9世紀のビグマリオン王はアフリカのカルタゴに本格的な植民市を建設し,そのカルタゴがさらに周辺地域に孫植民市を建設して,本国が衰えたのちも西地中海に覇を保った。ティルスはやがてアッシリアの強大化につれて勢力を失い,たびたび反乱を企てたが失敗し,前8世紀にはその支配に服した。アッシリア滅亡後も,エジプト,新バビロニア,ペルシアと次々に現れる強国の前に,再び海上権をとり戻すことはできなかった。代わって東地中海の覇権はギリシア人が掌握するが,最終的にはカルタゴもギリシア人もローマによって征服されるのである。最後に,フェニキア人が世界文化史上果たした最大の役割として,22の子音からなるアルファベットを作成し,従来の表意文字を表音文字に転化すべく工夫したことがあげられよう。
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