●風流(芸) ふうりゅう
アジア 日本 AD
趣向を凝らした風情のあるつくり物や,その意匠をいう。風情に心を用いた踊りや,祭礼のつくり物・練り物などの総称。“風流”の文字は『万葉集』などでは“みやび”と訓じ,情け・すき心などの意であった。平安時代にはそういう心を意匠化した風情であるつくり物や,和歌・漢詩・物語などの本意を表現する美意識に対する語とされた。以後この意匠は,祭礼や芸能などの場で華やかさを発揮することとなった。【祭礼の風流】平安時代,京都の賀茂祭の行列警固にあたる者たちが,衣裳や冠に時節の花を飾り,それを見物する物見車の簾には,風情のある飾りが競って付けられた。一方,祇園会などでは初め,貴族たちの出す馬長稚児の風流や花傘が競われたが,南北朝後期以後は,町衆が中心となってつくり物の山や鉾を曳きまわすようになった。なお民俗の心意伝承として,人間に害をなす悪霊を追い払うためには,美しい神座を設け,そこに招き寄せて,音楽や歌などで囃したてて,他所に追放するという民俗がある。風流はこの民俗と結んで,悪霊や御霊を追払うための祭礼として,民衆のなかに深く浸透。各地の夏祭りには,工夫を凝らした悪霊の神座が曳きまわされ,その趣向自体を楽しむようになった。現在各地に残る祭礼のうち,山車や鉾を初め,華やかな意匠を競うものは,この系統を引く祭礼である。
【芸能の風流】人の目を楽しませる芸能が風流の精神と結びつくのは当然で,わが国の民俗芸能を分類する場合,風流系というジャンルが成立する。祭礼行列に付随した囃子が,独立した囃子物を生み,“踊り”と結びつき,集団的な風流踊を誕生させた。中世期の囃子物では,正月の松囃子,盆の念仏囃子物,祭礼松の風流囃子物等がある。風流踊は室町末期に,流行の小歌と結び一世を風靡したが,江戸時代には雨乞踊・太鼓踊,羯鼓踊,花笠踊,小歌踊,盆踊などと目的や形態によって多種多様に分化,民俗芸能として定着した。風流系芸能の特色は,趣向を眼目とするため,専門的芸能より,人の目を驚かす趣向のおもしろさと華やかさを第一とした。そのため素人の参加が可能で,室町期に経済的力をもった町衆や,郷村の祭礼芸能のなかで発達した。華やかさが最も発揮されたのは,天文年間(1532〜55)以降,豊臣秀吉の治政下においてであった。美意識としては深みに欠けるが,華やかさと意匠のおもしろさでは,他の追随を許さない。一方,風流の美意識はそれ自体独立した芸能を生みだすほかに,ほかの芸能に大きく影響を与えた。たとえば平安時代の一時期,都で流行した素人衆による田楽には,風流が施されたし,中世の寺院芸能である“延年”には,風流の名で呼ぶ芸能があった。これはその中心が仮装の登場者や,美々しく飾られた装置にあったためで,“大風流”と呼ばれた曲には,鳥獣の被り物を戴いた走り物が出て舞い,最後が舞楽となった。また“小風流”はセリフのやりとりのあとに,歌謡によって引出された稚児が白拍子舞をした。ともに舟や山など大きなつくり物が出て,華美な衣裳が用いられたのはいうまでもない。
【能狂言の風流】中世芸能の代表である能や狂言にも,風流の思想は大きく影響を与えている。能の場合,筋や興趣に重点を置くのではなく,登場人物の扮装,趣向,つくり物などみた目の華やかさを眼目とした曲がつくられた。今日“風流能”という分類がなされる。庶民にも深く浸透した能に,このような曲が生まれるのは当然で“土蜘蛛”“竜虎”“船弁慶”などの曲がこれにあたる。狂言にも“狂言風流”がある。これは“式三番”の特殊演出として,狂言方によって演じられるもので,面をつけた大黒・鶴・亀・蟻等仮装の者が登場。祝言を述べたり,舞をまったりする。延年の風流との交渉が考えられる。なお近世芸能を代表する“歌舞伎”も,風流芸能の延長上にあるといえる。
〔参考文献〕本田安次『田楽・風流一』1967,木耳社
同『語り物・風流二』1970,木耳社
岡崎義恵『日本芸術思潮』2の上