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●風俗画 ふうぞくが

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 風俗を描いた絵のことであるが,風俗とはその土地ごとのならわし・習慣のことをいい,その土地に行われる詩歌・国風をさし,人々の身なり・服装について語ることである。これらのことをまとめて絵画に定着させたのであるから,風俗画は絵画のなかでも実にバラエティに富んでおり,豊かな記録性をもっているものである。したがって同じ絵画のなかでも人物画の部類に属し,ほかの花鳥画(西洋画では静物画),山水画(西洋画では風景画)とは明らかに制作意図は異なっている。そこにはおのずとある時代の人間社会が息づいており,その現実が絵として定着させられているから,風俗画の宿命として,鑑賞されはしてもむしろ記録性・記念性なるものをもっており,そのことから描画の技術面はもちろんであるけれども,それにもまして歴史資料,民俗資料として観察されることの方が多いようである。したがって人類の歴史のあるところ,風俗画の歴史も古い。東洋でも風俗画らしきものが登場して来るのは,西暦前7,8世紀の中国の東周・春秋時代である。戦闘文のある青銅製の銅斗が発掘されており,図様は縦に4段あって下1段には樹下に祈祷のポーズをとる2人の女性の周囲を舞踊する4人の女性像が描かれ,上3段は人馬の戦闘図である。当時の男女の職能の差を象徴するかのような図柄である。おそらく中国風俗画の最も古い例であろう。次にみられるのは湖南省長沙出土の戦国時代『竜鳳人物帛画』であり,このほか道教的信仰図を思わせる帛画もある。秦代では人物・風俗の図様を伴う著名な画像石が多数知られている。西暦紀元前後になってくると従来の象徴的風俗図像が俄然現実味を帯びて,明らかに具象的な人物画として変容してくる。すなわち前漢代(前3世紀〜1世紀)には項羽と劉邦の「鴻門の会」を彩色で描いた『漢墓壁画』なども近年発掘されている。これらはまさに中国のみならず東洋の本格的風俗画の優れた先駆的な例であろう。この流れはやがて晋のコガイシ※注1※(346〜407)が当時の官女像を描いた『女史箴図』の出現によって一大飛躍をとげ,中国風俗画は東洋風俗画の原点となり,この伝統は敦煌莫高窟仏教壁画西魏3世紀)とともに規範となって,中国はもちろん朝鮮へ,日本へと伝播したのである。しかし日本の風俗画の発生はかなりおそく,銅鐸にあらわれた狩猟図は別として,絵らしい絵が登場してくるのは7世紀からである。たとえば法隆寺の玉虫厨子扉絵中宮寺天寿国繍帳刺繍画がそうである。これらはいきなり仏教画として登場してはくるが,明らかに異国,それも西域,中国,朝鮮などがモデルになっており,つぎの代の法隆寺壁画,高松塚古墳壁画などは7,8世紀のもので,いずれもその祖型は明らかに中国,朝鮮その他に求められる。しかしこれらの古代絵画のなかに一貫して流れているのは“以形伝神”という厳格な中国的画法であり,平安期の『源氏物語絵巻』のような様式化された絵をみないことである。この伝統はのちに多数みられる〈以形写神〉的羅漢図や十王図に集約されていくのである。12世紀末から13世紀,すなわち平安末期から鎌倉期になってようやく純日本的風俗画が台頭してくる。すなわち『源氏物語絵巻』『信貴山縁起絵巻』『伴大納言絵詞』『鳥獣戯画』(人物巻)などは明らかに貴族や庶民の風俗を写しており,このほか『春日権現験記絵』や『一遍上人絵伝』『餓鬼草紙』,仏画の『十界図』などには武士,僧侶,下層庶民などほとんどの階層が網羅され,歴史資料としても価値は高い。室町期に入るとそれらの量質とも下降線を辿るが,桃山期から江戸期に入ると,俄然新興市民層が明らかに別種の日本的風俗画を確立していく。すなわち景気上昇につれ花見,歌舞,南蛮風俗などが盛んに描かれ,元禄以後になるといわゆる浮世絵版画の発展により,いよいよ日本独自の耽美的でリリカルな風俗画が発達,鈴木春信喜多川歌麿鳥居清長葛飾北斎安藤広重ら世界的にもユニークな浮世絵風俗画家を生んだ。

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