●風水信仰 ふうすいしんこう
アジア 中華人民共和国 AD
中国古代に成立した,地形や水流もしくは方角などによって,家相・墓相などの吉凶を判断する風水説にもとづく信仰。風水説が堪輿・地理などともいわれる関係から,その方面の専門家は堪輿(かんよ)家,地理師,風水師または風水先生などとも呼ばれている。【起源と目的】風水説とその信仰のおこった時期は,いまのところはっきりしない。けれども,現存最古の風水説関係の書といわれている『青烏経』が漢代(前2世紀〜3世紀)の作とされ,風水説の大成者とみられている郭璞(生没年不明)が3〜4世紀の人と伝えられているから,おそらく1〜2世紀のころにおこったのではないかと推測される。風水説は,天と地,とくに地の恵みを受けて,人生をより幸福に送ろうとする目的で考案された説である。その学説的根拠は,二元論的世界観といっても差し支えない陰陽説や,古代中国人の思想律といわれ,のちには王朝の交替興亡まで説明するようになった五行説におかれている。しかし,のちには予言書といわれている緯書(いしょ)の思想や易,干支などとまでも関係づけられるようになった。目的を具体的にいえば,吉相の土地を選んで家をたてて幸運を求めるとともに,よい場所に祖先の墓地を造って子孫たちの繁栄をはかろうとすることである。祖先の墓地は陰宅すなわち祖先の住む家である。陰宅が吉相ならば,祖先の遺体である子孫たちにもよい影響が与えられるという感応の思想が大きく作用していることがわかる。吉相の土地は,“風水のよい土地”といわれる。
【吉相の土地】風水説では,北に山を負い,南にむかってひらけ,東西もまた風をさえぎるようになっている上に,前方に東から流れてくる川のある土地を吉相とする。そのような場所は生気があると考えるためである。中国の多くの墓がそのような場所に造られているのは,風水師に依頼して,そのような条件をそなえた位置を選んでもらうからである。したがって,華南およびその影響をうけたと思われる沖縄県下の亀甲墓は,風水説で説く生気ある地形を人工的に造ったものであって,一部の人々のいうような出産時の女体を象徴したものではない。東から流れてくる川を必要とするのは,東方を太陽の昇る生(地磁)気に満ちている方向として重視する結果である。人々が,墓地の移転を嫌うのは,この理由からである。
【吉相の場所】風水説では,名山や霊山を24の型にわける。それぞれの山の頂上に竜神がいるが,その竜神のいるところから麓にむかって地脈が流れている。その地脈を竜脈という。竜脈が山の麓から平地にかかろうとしたところに霊妙な場所がある。そこが竜穴である。竜穴を中心に家を建てると,家が繁栄すると説く。そこで人々,とくに広東系の人々や客家(はっか)と呼ばれる河南省から西部の山岳地帯を南下して広東省北部から福建省南部にかけての地方に移り住んだ人々は,神棚の下の床面に接した場所に“土地竜神”と記した字牌を祀り,家が竜脈に沿ったところに建てられているよしを示す。家としての祝いや祭祀をした場合には,ついでに“土地竜神”にも線香を供えて礼拝するが,“土地竜神”は風水説で説く土地神とみて大過なかろう。字牌の文字は,ホンコンでは“五方五土竜神,前後地主財神”,シンガポールやマレーシアの華人社会では“五方五土竜神,唐番地主財神”で,一般に地主公と呼びならわされている。
【風水説への信仰】人々の信仰はいまなお衰えず,風水師に依頼して数年がかりで祖先の墓地の位置をさがす場合もあれば,他人が墓の後方に造墓し,あるいは道路をつくると,竜脈を絶ったとして争いがおこり,流血の惨事に及ぶこともある。風水信仰は,いまなお深く中国人のあいだに残っている。日本には古く一部の記録にみられるのみだが朝鮮半島や沖縄県下ばかりでなく,貴州・雲南両省方面に住む苗族のあいだにも広まっているから,10世紀以降には広く民間信仰として一般に広まっていたと思われる。
〔参考文献〕村山智順『朝鮮の風水』1931,朝鮮総督府