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●武韋の禍 ぶいのか

アジア 中華人民共和国 AD 

 唐の高宗の皇后武氏と,中宗の皇后韋氏がともに皇位を簒奪したことを併称したもの。

 すなわち,高宗の皇后武氏が,政治権力を掌握して唐朝の政治を動かし,690年には唐朝に代わって周朝をたて,自ら帝位に就いたこと,中宗の皇后韋氏が中宗をないがしろにして政権を動かし,娘の安樂公主とともに中宗を毒殺して政治権力を握ったことをさす。唐朝の政治が一時,武氏と韋氏らによって独占され,左右されたことで,それが唐朝の衰微とのみ理解されてきた。表面的にみるならば確かにその通りであるが,この事件によって,旧来の貴族層に代わって新たに地主・大商人層が,政治の舞台に登場するきっかけをつくった点において,当時の社会に新風をもたらす面もあったことを無視することはできない。今後はこの面から,新しい評価がでてくるものと思われる。