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●ファン=ヘネップ

ヨーロッパ フランス共和国 AD1873 フランス共和国第三共和政

 1873〜1957 20世紀初頭のフランス民俗学・民族詩学において指導的役割を担った。“通過”の概念を用い儀礼の動態的分析を試み,“通過儀礼”を創唱し,儀礼研究に新たな光明を投じた。両親はオランダ人で西ドイツに生まれるが高等教育の大部分はフランスで受けた。パリの東洋語学校,高等学術研究院を経てポーランドでフランス語教師・フランス国家公務員・スイスのヌシャテル大学の民族誌学教授を歴任し「民族誌学・社会学研究」など数多くの雑誌編集に携るがフランスでは大学の研究職に就くことはなかった。『通過儀礼』(1909)は彼の代表作だがこのほかに『マダガスカルにおけるタブーとトーテミズム』(1904)『オーストラリアの神話と伝説』(1906)など,多数の著書がある。1911−12年にアルジェリアでフィールドワークを行うが,研究生活の後半は『通過儀礼』の理論を実証する為にフランスのサヴォア Savoie を中心とする地域の民俗の研究に没頭した。しかし,当時脚光を浴びていたデュルケムを中心とするフランス社会学からは異端児として扱われ評価されなかった。両者はトーテミズムの解釈・社会における個人の位置づけという点で大きく食い違った。1924年を境としてデュルケム学派の機関誌「社会学年報」の編集方針の変更により,その枠組みから外れたファン=ヘネップは年報=フランス社会学会から排斥され活躍の場を民俗学・民族誌学に移すが,ターナーのリミネール理論などに大きな影響を与えた。