●ファショダ事件 ファショダじけん
ヨーロッパ フランス共和国 AD
帝国主義時代における植民地争奪をめぐる典型的な紛争。イギリスの3C政策とフランスのアフリカ横断政策とがナイル河上流のファショダで衝突したもの。イギリスは,指揮官キッチナーのもと,1898年にマフディーの治めるスーダンを攻め,9月にイギリス・エジプトの支配下においた。他方,フランスのマルシャンの率いる一隊は7月にファショダに到着していた。キッチナーはこの情報を入手,ただちに現地に急行,9月19日,マルシャンに撤退を求めた。マルシャンはそれを拒み,両国の外交問題に発展,両国の世論が沸き上った。戦争の淵にたったフランス政府は,当時,ドイツと対立関係にあったために,外務大臣デルカッセの方針で,イギリスとの関係悪化を望まず,協調の道を求めて譲歩し,マルシャンの一隊はファショダを撤退した。スーダンは,1899年,イギリス・エジプトの共同管理国となった。