●ヒンドゥー教 ヒンドゥーきょう
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【ヒンドゥー教とは】ヒンドゥー教とは宗教ではあるが単なる宗教の域を超える。ここにはタイプを異にし,かつ,宗教的レベルを異にするさまざまな宗教的観念や儀礼,行法のみならず,カーストという社会構造や慣行,倫理など,生活文化のすべてが含まれている。ヒンドゥー教とは広大なインド亜大陸にみえる驚くべき多様な文化的要素を多様なるままに統一する大枠としての文化体系といってよい。ヒンドゥー教以外の諸宗教をもそのなかに包みこむインド世界の中核をなす世界なのである。今日,ヒンドゥー教徒の数が最も多いのはむろんインド国で,総人口の82.72%,4億5,350万人(1971)である。ただし,現代のインドは「世俗国家」であって,ヒンドゥー教は国教ではない。ヒンドゥー教を国教とする唯一の国はネパール王国で,現王家を初めとして約3,500万人の信徒がいる。このほか,スリランカ共和国には南インドのタミール人の系統のヒンドゥー教徒が人口比17.6%,224万人いる。インドネシア共和国にはバリ島を中心に約400万人のヒンドゥー教徒がいるが,在来文化の影響を受けてかなり変容している。ビルマ連邦社会主義共和国にもヒンドゥー教徒がいて(3.9%,57万人),東南アジアがかつてインド文化圏にあったことの名残りをとどめている。また,マレーシアやアフリカなどに定住するインド人ヒンドゥー教徒もいて,世界のヒンドゥー人口は5億人を超える。およそ前15世紀以降にアーリア人が西北インドに侵入したとき,インド亜大陸にはムンダー人,ドラヴィダ人,ヒマラヤ山麓地帯にかけてチベット=ビルマ系の諸部族が定住していた。アーリア人とまず接触したのは前2者である。こうしてアーリア人と現住諸民族,部族の文化が接触し,融合し,重層化し,相互変容しつつ原始ヒンドゥー教が成立した。以降,さまざまな文化を吸収しつつ,インド亜大陸全域にひろがり,現代のヒンドゥー教に発展し,継承された。【神々と宗派】ヒンドゥー教には多くの神々がいる。シヴァ神やヴィシュヌ神は全インドに神祠があり,広く信奉されている「偉大なる神」である。一方,一地方にのみ信奉されている神もいるし,村々には独自の村神が何神もある。大小さまざまな神がいて,とくに中心的な神はいない。しいていえば,古来よりブラフマー,ヴィシュヌ,シヴァがそれぞれに宇宙の創造,維持,破壊をつかさどるという3神一体説(トリムールティ)があるが,これは教理的なもので,ブラフマーは,ほとんど実際には信奉されていない。神々の系譜は複雑である。アーリア人のもち込んだ神々は自然現象の擬人化で,たとえばインドラは雷の神である。シヴァやヴィシュヌはヴェーダ期の神々と関係はもちつつも,実は先住部族の性格を吸収し,あるいは付加して大きくなった。神話,伝説上の人物の神格化されたものもある。ヴィシュヌの第9番目の化身はブッダで,元来は人間であるし,クリシュナもおそらく実在の人間である。スールヤ(太陽)神はヴェーダ期の神だが,のちにイランからきた別の系統の太陽神崇拝と習合している。女神は5世紀ごろからとくに有力となり,男神が1人または複数の神妃をもつようになった。方角神もいれば,動物も神格化されている。さまざまな鬼霊も少なくない。ヒンドゥーパンテオンには八百万(やおよろず)の神々がいるのである。さまざまな神々の背後には,実は,唯一の最高者の観念が横たわっている。その最高者は神々の上に存在する万物の原因であるが,われわれの認識を超える。そのためにこそ,シヴァやヴィシュヌらのすべての神は具体的形態をとりつつ,最高者の「顕現」として存在すると考えられている。すなわち,すべての神は最高者の異なる局面を代表するものであり,したがって,相互に排他的ではない。ヒンドゥー教にはいわゆる組織化された宗派ないし教団はない。なるほど,シヴァ派やヴィシュヌ派という表現はありうるし,各派の行者は額に独自のマークをつけたりする。しかし,これは主としてシヴァ神やヴィシュヌ神を崇拝しているということであって,行者や信徒の未組織の集まりにすぎない。神祠や寺院はそれぞれ独立していて,当該地域とのかかわりのなかで,1人ないし複数の僧が住みつき,儀礼をつかさどる。ただし現代インドでは法的保護を望むときには団体登録はできる。もっとも宗教法人はないから一般の法人である(収入の莫大な寺院ではトラスト(委員会)が構成され,間接的にその収益金の使用状況に政府の監督が加えられることがある。
【儀礼】人は儀礼を介して神々と交流する。その基本である礼拝の最も普通の形式はプージャーという。神への崇拝と奉仕を本質とし,花,香,灯明,花環,飲食物を祈りと感謝の言葉とともに捧げる。個人の礼拝や家庭での祭祀,公共の祭りなどがこの形式で行われる。現在プージャーという言葉はドゥルガー(女神)・プージャーとか,サラスヴァティー(女神)・プージャーというように,数日以上つづく祭を示すこともある。ホーマという形式はプージャーよりも歴史は古い。火壇をつくって火をたき,火中に供物として穀物や油を投じる。供物は煙とともに天に昇って神々のところにいたるという。のちに仏教に摂取され,護摩という音写語をもって日本にも伝わっている。いけにえを捧げて,きわめて現実的な恩恵を求める儀礼は,現在でも村神祀りにはたびたび行われる。また,ベンガル,アッサム地方でとくに信奉されているカーリー女神(シヴァ神妃の1人)の礼拝にもみられる。今日でも,ヒンドゥー教徒は家の神棚,神祠,寺などではプージャーを盛んに行う。おりにふれて寺に詣で聖地に巡礼するのはヒンドゥー教徒の個人の宗教生活の重要な一部といってよい。寺や聖地ではタンク(沐浴用の池)や川で沐浴する。沐浴は人を宗教的に浄化し,罪を洗い浄め功徳を増すものと信じられている。とくに聖地における沐浴は功徳が大きく,たとえばガンジス河に沿うファーラーナシー(ベナレス)には全国からヒンドゥー教徒が集まってくる。人生の節目を通るときに行われる通過儀礼はさまざまだが,現在普通に行われているのは受胎式,命名式,お食べぞめ式,入法式,結婚式などである。入法式とは主としてバラモンの少年が7〜8歳に成長したときに行うもので,聖索(せいさく)をかけてもらい,精神的に生まれ代るという。その他の儀式の意義は日本と同様である。
【教義と人生観】ヒンドゥー教に特定の教義はない。ヒンドゥー教徒であることの最大の標識はカーストの成員たることで,ダルマ(具体的にはカーストのルール)を守る限り,彼はヒンドゥーである。したがって,いかなるイズムもヒンドゥーであることとは関係がないし,同時に,いかなる思想もヒンドゥーの思想たりうる。しかし,すべてのヒンドゥー教徒にほぼ受容されている思想もある。業(ごう)と輪廻(りんね)もその一つである。この思想は人々の倫理観の基盤をもなすものである。善悪の業はしばしば,功徳(プニヤ)と悪徳(パーパ)という観念に置きかえられる。功徳を積みうる行為は社会への布施や奉仕,そして正しい生活,とくに神への献身などがあるが,善をなす理由は死後に生天して安楽な生活を送るためにある。業,輪廻の観念は,高い教育を受けた人々のあいだでも当然のこととして受容され,ダルマの積極的実践を支えている。ヒンドゥー教は古代から実存レベルの宗教観念と行法を発達させた。ウパニシャッド文献が強調する「梵我一如(ぼんがいちにょ)」も,ヨーガの伝承の禅定と三昧も,その例である。仏教の涅槃もそうであるし,タントラ教の性交を行法として行うという教えも,めざすのは宇宙の根元の力であるシヴァ・シャクティとの合一である。こうした行法は一般の人間には難しいが,誰にでも可能な神との合一の道として,バクティ(信愛)が説かれた。自我をすべて捨て,無私になりきり,まかせきって,ひたすらに絶対者への信と愛を捧げていく行法である。とくに中世以降にはさまざまな流れが生じ,宗教運動がおこっている。とくにヴィシュヌ派の系統で強調されたが,シヴァ派にもある。イスラム教が入ってからは,イスラーム神秘主義(スーフィズム)と相互に影響をわかちあい,人々をカーストの差を超えた信仰にかり立てていった。
〔参考文献〕井原徹山『印度教』1943(復刊1961),大東出版社
L.ルヌー,渡辺照宏・美田稔訳『インド教』1960,白水社
山崎利男『神秘と現実』1969,淡交社
中村元『ヒンドゥー教史』1979,山川出版社