●備後 びんご
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現在の広島県の東半部をさす古代以来の地名。古代律令制度の地方の一単位として,吉備の西部が分国して備後国となったのは,7世紀の後半ころといわれる。奈良・平安時代には,安那・深津・神石・奴可・沼隈・品治・葦田・甲奴・三上・恵蘇・御調・世羅・三谿・三次の14郡であった。西北部は,中国山地の南側にありながら,河川水系でみると,日本海側に流れる江の川水系に入り,東北部は,岡山県の備中へ流れる高梁川の上流に位置する。その他の中南部地域は,芦田川など瀬戸内海にむかって南流する水系に含まれている。葦国郡にあったとされる国府は,現在の府中市の市街地周辺にあった。国分寺址は,深安郡神辺町御領に残る。古代以来,山地では鉄,瀬戸内沿岸では塩の産地として知られ,また,備後畳表は,この地の名産として知られる。江戸時代には,安芸広島城主浅野家の領地と,水野・松平・阿部と順次城主となった備後福山藩に属し,明治をむかえ広島県となった。