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●檜皮葺 ひわだぶき

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 日本は風土的に木材資源の豊富な国であったから,建築を始めとする構架は,木造を主流としてきた。木造建築は柱・桁・棟・屋根の諸材で構成されるが,また雨量の多い風土なので屋蓋についてはつねに充分な対策が考えられてきた。いちばん原始的なものは雑草葺から始まるが,木賊や萱や茅から蕎や麦などで葺くものへと進展してきた。木材の使用は柿(こけら)や板となり,樹皮の使用は杉や椹(さわら),桧などの皮を用いるようになった。奈良時代になると,大陸的な技法による瓦葺が取り入れられるようになったので,桧皮葺は宮殿や神殿のごとき高級な建物に用いられるようになって屋蓋は単なる防水や目隠しという用途性から,建築美としての重要な要素をもつようになってきた。その最も日本的な素材が桧皮葺である。平安時代の寝殿造などは素木の柱に桧皮屋根というのがいちばん高級住宅であったことは絵巻物などにも現れているとおりである。桧皮(ひわだ)は『類聚名物考』には〈檜木の肌皮といふを異ていふ也〉とあり,〈古への宮殿みなしかなり,今も禁裏,古き神社など必用らるるや〉とみえている。その名の通り,おもに桧の樹皮であるが,秋から冬の間に剥ぎ取って用いるのが旬(しゅん)でよいとされ,立木のままで採集する桧皮が最高級品とされている。桧皮は40センチから60センチ位の長さとし,これを20ミリくらいずつづらせて重ね,下方(軒端)の方からしだいに葺き上げていく。重なりを葺足(ふきあし)と呼んでおり,重ねはすべて3〜4センチの竹釘で打ち留めていくので,俗に“トントン葺き”などともいわれているが,竹釘も竹材の旬(しゅん)である秋に截ったものをけずり,これを鉄鍋で炒ると質がよくしまり,また虫害も少ないといわれている。葺きたての桧皮葺の美しさはしっとりとした色調と軒端の裁断面であり,これが新しい野地板の上に厚く重なって適当な反りをもっているのは,きわめて清潔感に満ちた日本建築の美観である。桧皮師・桧皮大工・桧皮工(たくみ)などとも呼ばれ,江戸時代の『職人づくし絵』などにも必ず描かれている。『延喜式』をみると七丈屋一宇(一丈はおおよそ3.3メートル余)を葺くのに厚さ六寸(17センチ)としても〈三尺檜皮九百圍〉を要したと書かれている。圍とは直径1メートルの桧皮の束(たば)であるとし,〈釘縄一千丈,葺工七十人」を要すると書かれているから,相当に贅沢な屋根材であり,おのずからその用途にも限定があった。軒先(軒付)の部分には桧皮の下に蛇腹という木片を並べてその上から葺くので,軒先は厚ぼったいが上の方は割合に薄くなっていくので,雨水には決して強いものではないし,また乾燥にも強くはない。もともと吸水性があるので雨あがりなどには長時間にわたって水蒸気が立ち上っているのをみかける。しかし桧皮葺は屋根の曲線に添うて美しい屈曲を表すので,建物の妻からみた曲線や平からみた軒反りも美しい。また正面の唐破風などに用いると,厚ぼったく美しく曲がるので建築における美的効果は大きい。耐久力がないし,古くなると耐水性に欠け,また汚くなってくるのは難点である。春日大社などでは式年造替といっても桧皮の葺き替えと丹朱の塗り替えですませているが,これで結構,社殿は新造されたように更新するのは桧皮の魔力とでもいえる。藤原時代には六位以下の官人は桧皮葺の家に住むことを禁じたという通達も残っているほどで,倭絵(やまとえ)の点景として,桧皮葺の風物は高級であり,最も日本的な風土観と合致するものであるといえよう。平安・鎌倉時代には,貴族の御座船にも用いられ,これをヒラタ※注1※と呼んだことが『宇治関白高野山御参詣記』にみえている。近年は野地板との境に銅板を敷いたり,軒先に水切りの銅板を入れたりして耐久を図っているが,本来の手法ではない。

〔参考文献〕『古事類苑』(居処部)

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