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●広田弘毅内閣 ひろたこうきないかく

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 1936年(昭和11),二・二六事件による岡田啓介内閣総辞職後,前外相広田弘毅に組閣が命じられた。軍部の強い干渉をうけて3月9日,広田内閣は政友・民政両党から各2名を加えた挙国一致内閣として成立。内閣は「庶政一新」の名のもとに軍部大臣現役武官制の復活,帝国国防方針の改訂によって軍部の要求する軍備拡充政策をすすめ,8月の「国策の基準」(5相会議決定)において南北併進の膨張政策を国策に定め,11月には日独防共協定を締結し,ナチス=ドイツとの提携を強めた。軍部に追随した軍国政策は,外に中国との対立をいっそう深め,内に財界・政党の不満をたかめた。1937年(昭和12)1月,衆議院において政友会の浜田国松は痛烈な軍部批判演説を行い,寺内寿一陸相と「腹切り問答」を交え,寺内の議会解散要求にたいして,2月2日広田内閣は総辞職した。

〔参考文献〕伝記刊行会編『広田弘毅』1966

林茂ほか編『日本内閣史録・3』1981,第一法規出版