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●広田弘毅 ひろたこうき

アジア 日本 AD1878 明治時代

 1878〜1948(明治11〜昭和23)外交官,政治家。福岡市生れ。修猷館中学,一高を経て,1905年(明治38),東大法科卒業。早くから玄洋社と関係し,その思想的影響を受ける。1906年(明治39),外務省に入り,1922年(大正11),情報部次長,1923年,欧米局長,1926年,オランダ駐剳公使,1930年(昭和5),駐ソ大使などを歴任。1933年9月,斎藤実内閣の外相となり,ひきつづき岡田啓介内閣に留任し,その間1935年には広田3原則(排日停止・満州国承認・共同防共)を提示して日中国交の調整に努めた。1936年(昭和11),二・二六事件ののち内閣を組織(首相・外相兼任)し,軍備増強を軸とする「庶政一新」の方針をとった。その後1937年6月,近衛文麿内閣の外相として日中戦争を推進。貴族院議員,内閣参議となり敗戦まで重臣の1人として,戦争終結のためソヴィエトを仲介とする和平工作をはかったが不成功に終った。敗戦後,A級戦犯に指名され,極東国際軍事裁判で文官としてはただ1人,絞首刑を宣告され,1948年12月処刑された。

〔参考文献〕伝記刊行会『広田弘毅』1966

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