50音順    検 索

●広瀬淡窓 ひろせたんそう

アジア 日本 AD1782 江戸時代

 1782〜1856(天明2〜安政3)江戸時代の儒学者・教育家。1782年,豊後国日田(大分県日田市)の豪商広瀬家の長男として生まれた。幼少の時より父などから漢籍を習い,1797年(寛政9),福岡の亀井昭陽の塾に入門した。しかし1799年に病を得て帰郷,療養のかたわら学問に親しんだ。1805年(文化2),家業を弟久兵衛に譲り,日田豆田町の長福寺学寮を借りて塾を開いた。1817年,堀田村に塾舎を新営して咸宜園と称し,そこで晩年まで学問と門人の教育につとめた。淡窓の学問は『約言』『タクゲン※注1※』『義府』の3著に集約されており,理と道とを明らかにするものであった。淡窓は教育にあたっては,塾生の自由と個性とを尊重すると同時に塾生には自律性を求め,信賞必罰でのぞんだ。咸宜園の門生はほぼ全国から集まっており,その数は4,000名を超えている(淡窓時代は約2,700名)。そしてそのなかから高野長英大村益次郎らの英才が出た。1856年11月,74歳で病没。

00