●広沢真臣 ひろさわさねおみ
アジア 日本 AD1833 江戸時代
1833〜71(天保4〜明治4)幕末尊攘派志士,初め季之進,のち余吾と称す。長州藩士柏村安利の四男に生まれたが,同藩士波多野直忠の養子となり1865年(慶応1),藩命によって広沢藤右衛門と改名,兵助・真臣と称するに至る。ペリー来航後,江戸・国もと間を往復,改革派の一人として藩政に関与したが1864年(元治1),第1次征長役に際し恭順派(俗論党)藩庁のため投獄される。翌年,正義派(倒幕)が藩政を握ると出獄して要路に参加,第2次征長役休戦談判にあたり,安芸宮島において,幕府側勝海舟らと折衝,講和を結んだ。1867年(慶応3),軍制惣掛となって薩摩藩大久保利通らと討幕の軍略をねり,密勅降下を実現。1868年(明治1),徴士・参与となり海陸軍務掛・内国事務掛・京都府御用掛,翌年,民部官副知事・民部大輔を歴任,参議となり永世禄1800石を給せられたが,刺客のため暗殺される。功績により嗣子に伯爵が授けられた。〔参考文献〕日本史籍協会編『広沢真臣日記』1931