●披露 ひろう
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広目・披露園とも書く。本来,文書などをひらきあらわしてみせることをいったが,それより公に発表すること,ひろく人に告げる意となった。その結果,あることを多くの人に告げるために,多くの人の眼の前でひろめることを披露といっている。【披露の古今】現代では,結婚の報告を兼ねた結婚披露が一般的となっでいるが,ほかに襲名披露や相続披露などもある。歴史的には室町幕府の諸奉行の一つに,披露奉行というのがあった。これは評定始めのとき,奏者の役をつとめ,御前沙汰始めには,公事披露などを行った。通常は訴訟の取次ぎや裁判を行い,披露を伺事といった。また慶事があったときや,名器を入手する機会に恵まれたときには連歌会が催され,披露連歌ともいった。
襲名披露は歌舞伎・邦楽・能などの古典的な芸能や,刀鍛冶・陶工など伝統的な特殊技術を要する職業で,父あるいは師匠・先輩の名前を後継者が名乗り,正しい系統の継承者であることを,自他ともに認めるときに行われた儀礼でもある。襲名披露の慣習は,家父長的な日本古来の家族制度と,それに関連して成立した家元制度,さらには技芸の伝承を神秘化させようとする傾向と深い関係をもっていた。披露は神仏の前で行われる場合もあったが,多くは共同体の人々の前で行われた。それは広く衆目のなかで名乗ることにより,名誉と責任をもたせて,名称にふさわしい行動をとらせる効果もこめられている。
また披露は成人とか成女,さらに結婚して自立したことの証しや家督相続,養子縁組などを公知させることであり,現在最も慣例化されているものに結婚披露がよく知られている。
【結婚披露の形態】結婚披露はその対象となった人々が,婚姻に承認を与える手続き儀礼である。日本の村落社会での婚姻は,まず地域社会に承認されることが大切であった。村内婚を基盤にした婿入婚では,当事者間の合意が成立するなかで,若者組や娘組に承認を得なければならなかった。村内への披露はずっと遅れて,嫁の引き移り後や,第一子が誕生する機会などに盛大な披露宴が設けられた。このことは,嫁が村社会を構成する家の主婦になることへの儀礼的表現であったからである。だが,村外婚を基盤とする嫁入婚となると,結婚披露が重要となる。それは,近親縁者や地縁の人々の招待や,嫁の村組への挨拶まわりや牛みやげなども必要となり,また村の若者組に酒をふるまい,彼らの承認をも得る手続きがいるためである。
一般に嫁入婚では,婚姻成立の式の後,引き続き披露の行事が行われている。千葉県九十九里の大網白浜町では,結婚式にはふつう両親は出席せず,婿の友人が招待されるようになったのもつい最近のことであるという。翌日には手伝ってくれた村組の人たちを招いてご馳走し,午後から半紙・手拭をもって地区をまわる。こうした2段階の披露を行うところは多い。またここでは婚姻の最初の正月は,村組へ半紙だけをもって年始に行き,既婚者のグループや子安講などには菓子を配って仲間に入れてもらう。こうして初めて嫁として村人に認められることとなる。婚姻祝いと披露が年月をへて行われる場合もあった。滋賀県の大溝町では、嫁人り後,1〜2年たってから双方の親類を引き合わせ饗応している。これをシンルイナリという。対馬の嫁の引き移りのとき,客を招待するような披露宴はとりたててしない。しかし,第一子の妊娠5カ月から7カ月にかけ腹祭りと称して親族縁者を招く習わしがある。このように地方によっては,婚姻の披露が初産をむかえるときであったり,厄年祝いや主婦になる祝いを兼ねて行っているところがある。地方では,従来通り婿の家で挙式・披露をしているところもかなりあるが,近年の結婚披露は,式場や宴会場の完備した神社・ホテルや専門の結婚式場が数多くでき,式後,披露宴にすぐ入れる便利さから,婿・嫁双方が式場に集まって挙式をする型に移行しつつある。