●平戸 ひらど
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平戸瀬戸を隔てて,長崎県の西北,北松浦半島に対峙する平戸は,朝鮮・中国との航路に当たるため,古くから寄港地として開け,平壺又は飛鸞島の名で中国に知られていた。松浦氏が肥前国松浦郡梶谷に移り住んだのは,久(ひさし)の代で,一族はその後繁栄し,松浦党百家余りが肥前国西海岸および周辺の島々を支配した。久から3代目の持(たもつ)は,平戸に移った。1587年(天正15),秀吉の九州征討の際,松浦隆信・鎮信父子は秀吉を援助し,所領を安堵された。1550年(天文19),ポルトガル船が初めて平戸に入港し,同年にはフランシスコ=ザヴィエルが布教したが,その後キリシタンは藩内の紛争の源となった。ボルトガル船が大村領内に去った後,オランダ(1609),イギリス(1613)の両館が置かれ,平戸は最盛期を迎えた。しかし,鎖国体制の完成と共に,1641年(寛永18),オランダ商館も長崎に移されると,平戸は6万4000石の小大名の城下町となり,幕末にいたった。