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●平田篤胤 ひらたあつたね

アジア 日本 AD1776 江戸時代

 1776〜1843(安永5〜天保14)近世後期の国学者・神道家。父は佐竹藩士大和田清兵衛祚胤。禄高100石の秋田藩士の4男。父より下僕のごとくあつかわれる。20歳のとき脱藩して江戸へ出,1800年(寛政12),25歳のとき,備中国松山藩士平田篤穂の養子となる。享和3年まで本居宣長の存在さえ知らなかった。28歳のとき『呵妄書』(1803)を書いて太宰春台批判を企て,1804年(文化1),真菅乃舎開業,そして本居宣長の学業を学び,その後平田は勤勉に学につとめ『新鬼神論』『古道大意』『俗神道大意』『西籍概論』『出定笑語』『伊布伎於呂志』『志都乃石屋』『霊の真柱』を書きあげ,その上で『王襷』『古史徴』『古史伝』の構想をねり上げている。『霊の真柱』の刊行は,広く宣長門の注目をあびた。この著述は服部中庸の影響もある。その後,門下は江戸の下町を中心にしだいに関東へと波及する。その後も著述はつづくが,しだいに江戸の民俗の基層社会へ接近する。それにもかかわらず幕府の嫌疑にふれ,秋田へ追放される。

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