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●馮道 ひょうどう

アジア 中華人民共和国 AD882 唐

 882〜954(中和2〜顕徳1)中国,五代十国時代に活躍した政治家。瀛(えい)州景城県来蘇郷(河北省)の人。家庭は中小地主層に属し,その祖先には農業従事者もいれば儒学者や下級官僚もいた。少年のころから読書を好み,博学多才であったといわれている。官界に最初に身を投じたのは,幽州節度使劉守光の部下としてであった。ときに26歳。ついで張承業を頼り,河東節度巡官となった。以後,五代十国時代に五つの王朝(後粱・後唐・後晋・後漢・後周),八姓(後唐の荘宗・明宗・末帝・石晋・耶律氏・劉漢・後周の太祖・世宗),11人の皇帝に30年間高位高官として仕え,宰相の地位に20年間もあった。万事なにごとにも他人と競うことを好まない温厚な性格で,平和を愛し,君主の道は人民をいつくしむことにあると説いた。このため寛厚の長者あるいは大人と称された。しかしその一方で,『資治通鑑』の作者で知られる司馬光などからその政治姿勢を無節操な世渡り上手として強く非難された。

〔参考文献〕砺波護『馮道』1966,人物往来社