●平等院 びょうどういん
アジア 日本 AD
藤原氏の全盛時,頼通が造営した大寺院で落慶時は宇治河畔に出現したこの世の極楽浄土と嘆仰された。この地はもと源融の別荘を道長が山荘とし,頼通が譲られたところで,1052年(永承7),頼通が仏寺に改め平等院と号した。古代の日本では仏教伝来(欽明天皇13年説として)が釈迦入滅後1,500年目に当るとされ,それより500年経れば像法の世も終わり,2,000年目の永承7年以後には末法到来とする終末思想が信ぜられていた。頼通のころ疾病凶作多く世情不安は進んでいる。平等院開創の年は末法突入1年前の滑り込みでなされた。15年に及ぶ造営により,金堂・東西法華堂・五大堂・釣殿・三重塔・五重塔・大門など輪奐の美をきわめたが,兵火に遭い,今日は鳳凰堂(阿弥陀堂)と堂前の石灯籠を残すにすぎない。鳳凰堂は浄土欣求の象徴として生まれた名建築で中堂内部の壁扉画とともに国宝。木造阿弥陀如来と雲中供養菩薩像は定朝の指揮する工房で制定された秀作である。宗派は天台と浄土宗。
![]()