●評定衆 ひょうじょうしゅう
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鎌倉〜室町時代の職名。ほかに院政下で政治を議する者,江戸時代に評定所の会議にあずかる者などもさす。鎌倉幕府は,1225年(嘉禄1)初めてこれを置いた(『関東評定伝』『古事類苑』官位部2所収)。中原師員・三浦義村・二階堂行村・中条家長・町野康俊・二階堂行盛,矢野倫重・後藤基綱・太田康連・佐藤業時・斎藤長定ら11名の評定衆が定まり,執権北条泰時・連署とともに評定会議を構成した。評定衆には,有力御家人の長老数名,北条一族中の有力者のなかから,政務・裁判に通じた政所・問注所の執事らが選ばれる。評定で取り扱われるのは,裁判を含む幕府政務の重要なものの決定であった。ただし,評定での裁判は御家人を当事者とするものに限られ,ほかは従前通り問注所の所管(佐藤進一説)。評定の場は,将軍の邸内に設けられた。「御成敗式目」末尾の起請にみられるように,評定の議決は構成員の共同意志(“一同の憲法”)とされるなど,評定では衆議の理念が尊重されている。