●ヒューマニズム
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ヒューマニズムということばは,19世紀の初めにドイツでつくられたことばであるが,そのもとになったものは,15世紀末ごろからイタリアで使われ出したウマニスタということばである。それは文法・修辞学・歴史・詩・道徳哲学を主にラテン語のテキストを使って教えたり,注釈を書いたりした専門家を第1グループとし,専門家ではないが,古典に興味を持ち,古典を探したり,自身でも注釈を書いたり,勉強したものを利用して,外交文書・演説文・歴史を書いたりした,書記官や秘書,政治家や商人,聖職者たちの知識人を第2グループとするものであった。彼らが扱った内容は,神学と異なり,人間の性格や,人間の位置づけ,人間の能力を探究するもので,ウマニスタということばの生まれる前からstudia humanitatis(人間諸学・人文学)と称されてきていた世俗の学問であった。したがって語源的にみてみると,studia humanitatis から umanista が生まれ,umanista から19世紀初めに humanism が生まれた。このルネサンス期のヒューマニズムは,今日ふつうに使われている人道主義とか人間の理性に全幅の信頼を置く人間中心主義とかいうヒューマニズムとは別のものである。日本語では人文主義という訳語がいちばん合っている。そのルネサンス=ヒューマニズムも14世紀中ごろには文法と修辞学が中心で,それを担った人々も教師・公証人・コムーネの役人・教皇庁の秘書・法律家のような人々であった。古典を読み注釈を施すためにラテン文法を研究し,学んだものを公文書や書簡や演説の草案に利用するため修辞学を研究したのである。しかし単なる文法研究や修辞学研究はあまり実りあるものを生まなかった。しかしその研究のために古典を教材に使ったことが大きな意味をもった。教材に含まれている,人間を豊かにし人間性を完成させるものをつかんだのである。それが明確に自覚されたのは,ペトラルカからで,より豊かな人間とは何か,共同体のなかでどう生きるのがより人間的なことであるのか,人間の自由と神の摂理の関係はどうなっているのか,自然な人間の生き方とは何か,人間の尊厳とは何か,人間の悲惨とは何かという人間論,いいかえれば道徳哲学と歴史が14世紀末から15世紀末まで主流になった。この時期フィレンツェを中心に展開された市民的ヒューマニズムは,この共同体の中でどのように生きるのがより人間的で豊かなことであるかについて答えたものである。教養ある市民(専門家であれ,政治家であれ,役人であれ,商人であれ)が,祖国のために政治家として,役人として,また商人として,教育者として,自分の任務をその人文主義的教養をもって,責任をもって果たすこと,社会のためにつくすことが,共同体の中でより人間的に豊かに生きる,ということであった。だからこの時期のウマニスタは,大学の教師,その下の級の教師だけでなく,政治家の中にも,商人の中にも,役人のなかにも,聖職者のなかにもいたのである。それぞれがそれぞれの分野で活動する。文化と政治・文化と社会・文化と経済が一体となって展開していた。こうした傾向も16世紀半ばごろから失われていく。政治から遠ざかり,経済活動からはずれ出す。そして社会から遊離して,再び専門家の古典の注釈・注解を主とする孤立したヒューマニズム(古典研究による人間性の完成,社会性の涵養からはずれた)になるか,あるいは御用学者化したウマニスタ(たとえばアレティノのような)になるか,宮廷人(カスティリオーネのような)になるか,市民的なものを喪失した抽象的な文学研究になっていった。同時代の歴史叙述にみるべきものがなくなってしまうのも16世紀中ごろ以後のことである。こうしてイタリアのルネサンス=ヒューマニズムはその役割を終えていった。そして16世紀以後にはアルプス以北の国々でイタリアからの影響のもとに,それぞれの特徴をもったヒューマニズムが展開されるにいたった。