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●ビューヒナー

ヨーロッパ ドイツ連邦共和国 AD1813 ライン同盟

 1813〜37 ドイツの詩人・革命家。現代にも通じるような斬新で独創的な問題提起を時代先取的に行った。当時ギーセンで組織されていた,進歩的な学生と職人の秘密結社「人権協会」に加盟し,非合法活動に参加した。しかしビューヒナーは,“若いドイツ”の自由主義運動に対しては,観念論に走り,状況に対するリアルな洞察を欠いていると判断していたので,冷淡かつ批判的であった。彼が起草した政治的パンフレット「ヘッセンの使者」(1834)は,その透徹した状況認識ゆえに,今なおアジテーション文学としての意義を失わない。そのなかでビューヒナーは,民衆の置かれていた惨状を統計で実証的に説明し,貧富という階級的対立を除去するための唯一のハシゴは,狂信と暴力であると定義し,民衆に蜂起するよう呼びかけている。そのため,官憲の追求がわが身に及ぶことを察知し,シュトラースブルク経由でスイスのチューリヒに亡命,当地の大学で医学の講師になったが,24歳で夭折した。その間彼は創作にもたずさわっていた。革命家と詩人,この二つの顔をもったビューヒナーの魂を根底で支えていたのは,虐げられ疎外されている貧しい人々に対する,彼の衷心からの同情であった。詩人ビューヒナーの形姿は多彩である。享楽的犬儒家ダントンと禁欲的道徳家ロベスピエールとの対立を軸に展開される革命の悲劇のなかに自己の政治体験を投影した劇作,『ダントンの死』(1835)の基本思想は,何人も抗することのできぬ鉄の法則が歴史を支配している,という「宿命論」であった。また,発狂していくシュトゥルム=ウント=ドラングの詩人レンツを描いた未完の短編『レンツ』(1836)では,作者ビューヒナーはこの主人公に仮託して,〈理想主義は人間の本性に対して加えられた,破廉恥きわまる侮辱である〉と述べ,芸術家は〈卑少きわまる生命のなかに入っていって,その生命の痙攣,暗示,……まったく細やかな表情の動きにいたるまで再現〉するべきであるという,彼特有のリアリスティックな芸術観を展開している。未完の劇作『ヴォイツェク』(1836)は,下層の民衆を主人公にし,性・衝動・狂気など,人間性の闇の世界を異常な浸透力をもった言語表現と断片的・非連続的な場面転換で衝動的に暴露している。この作品はまた,末完であるがために,古典のドラマが具象化しているような,意味完結性をもたない。以上の諸点にもとづいて,この劇作に対しては,以後,自然主義・表現主義・プロレタリア演劇,さらには現代演劇などの先駆という多彩な位置づけが,そのときどきの文学的状況に即応して行われてきた。ビューヒナーの作品にはほかに,ブレンターノの原作を改作した童話的喜劇『レオンスとレーナ』(1836)がある。この作品は一見夢幻的な雰囲気に包まれているが,背後では作者のしんらつな体制批判の目が光っている。ビューヒナーに対する評価は,時代の推移とともに変貌してきた。現代においても,マルクス主義・実存主義・深層心理学・言語分析などの立場からの解読が試みられている。それゆえ,この作家を特定の文学史的な位置に定着させることは,不可能である。ちなみに現在,西ドイツにビューヒナー賞という制度が設けられているということは,この作家には,現代作家にいかに強く訴えるところがあるかということを,示唆しているといえる。