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●日向 ひゅうが

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 ひむかのくに。景行天皇が子湯の県に赴き,〈この国は,直(なお)く日の出る方に向けり〉と称して,日向の国の名としたと伝える(『景行紀』)。日向は,もと日向・大隅・薩摩を含む大国であった。この地域は,熊襲隼人と称せられる人々の国であったが,日向は最も早く大和政権に服属した。諸県君牛諸(もろがたのきみうしもの)の娘髪長媛は召されて,仁徳天皇の后となり,大草香皇子,若日下王を生んでいる。若日下王は雄略天皇の皇后であり,その部民として日下部が置かれていた。国府は兒湯郡にあったが,『延喜式』によれば臼杵・児湯(こゆ)・那珂・宮崎・諸県の5郡よりなる。鎌倉時代に入ると,この地は多く荘園化され,「建久図田帳」によれば総田数8,064町のうち,公領わずかに25町である。荘園は近衛家領の島津荘3,837町,宇佐宮領1,983町,八条女院領1,502町に達した。戦国時代に入ると,都於郡地頭の伊東氏が日向一円を支配したが,島津氏に追われた。島津氏も秀吉の軍門に降るや,日向は五つの小藩に分割された。島津氏には諸県と佐土原を,伊東氏に飫肥,豊前の高橋氏に延岡,筑前の秋月氏に高鍋を与えた。江戸中期以降には26カ所の天領が置かれた。廃藩置県に美々津・都城二県となったが,のちに両県併せて宮崎県となった。

〔参考文献〕『宮崎県史』