●百年戦争 ひゃくねんせんそう
ヨーロッパ フランス共和国 AD1339 フランス王国
1339〜1453 中世末期のイギリス−フランス間の戦争で,戦闘と休戦を繰り返しつつ1世紀以上に及んだのでその名がある。両国の政治・経済・社会に重大な影響をもたらし,中世的性格をもちながらも近代的要素の発芽がみられる戦争であった。【戦争の原因】ノルマン朝以来,イギリス・フランス両王家間には領土をめぐる争いが絶えず,次のプランタジネット朝もフランス内に広大な所領をもっていたことから,カペー朝と鋭く対立していた。とくにジョン王がその所領の大半を奪われてからは,その回復が歴代イギリス王の悲願となっていた。これが第1の原因である。第2には,フランドル地方をめぐる両国の争いがあげられる。この地方は毛織物工業が盛んで,イギリスは自国で生産した羊毛を大量に輸出していた。ところが,宗主権をもつフランス王が,フランドル地方の支配を確固たるものにしようとしたため,経済的つながりの強いイギリスが強く反発したのである。第3の原因には,王位継承問題があった。1328年フランスのカペー朝が断絶し,フィリップ6世が新たにヴァロワ朝を開いたのに対し,イギリス王エドワード3世が,母方の親戚関係を口実に継承権を主張し,横槍を入れた。
【戦争の経過――前期】1339年エドワード3世の率いる一隊は大陸に渡り,フィリップ6世軍と衝突したことから戦端が開かれた。初期のつばぜりあいのあと,1346年にクレシーの戦い,1356年にポワティエの戦いが激しく行われた。両戦ともイギリス長弓隊がフランス騎兵軍を圧倒して大勝し,とくにポワティエではエドワード黒太子の活躍がめざましく,フランス王ジャンを捕虜にするという功績をあげた。1360年両国はプレティニーの和約を結び,イギリスはアキテーヌ地方を獲得するとともに,ジャンを法外な身代金を課して釈放した。この間,フランスでは黒死病の流行とジャックリーの乱があって,社会の混乱と不安が深刻化していた。しかし,ジャンを継いでフランス王となったシャルル5世は,内政・軍事に手腕を発揮し,前半戦で失った領地の多くを回復するとともに,国家体制を整え,再建に貢献した。
【戦争の経過――後期】イギリスでは,1377年にエドワード3世が没し,幼少のリチャード2世が即位したが政局は動揺し,ワット=タイラーの乱もおこった。他方,フランスでも若年で精神病の発作に悩むシャルル6世が王位につき,諸侯はブルゴーニュ派とアルマニャック派に分かれて党争を繰り返した。1399年イギリスではランカスター朝が開かれたが,その創始者ヘンリ5世は,国内政局の動揺を外征により打開することを意図し,1415年に大軍を率いてノルマンディーに上陸したあと,アジャンクールの戦いで大勝を博した。勢いにのったイギリス軍は,その後ひきつづいて各地を制覇し,1428年にはフランス最後の拠点オルレアンを包囲した。フランスにとってこの最大の危機に出現したのがジャンヌ=ダルクである。ドンレミ村の農家の娘で,フランスを救えという神の声を信じ,オルレアンにかけつけたジャンヌの活躍により,フランス軍はイギリス軍の包囲を破って反攻に転じた。やがて,彼女自身は敵の捕虜となって火刑にされたが,優勢となったフランス軍はイギリス軍を追いつめ,1453年にはカレーをのぞいてイギリス軍を大陸から撤退させ,長期にわたった戦争をようやく終結させた。
【百年戦争の影響】この戦争を通じて,イギリス・フランス両国とも諸侯の勢力が著しく減退し,代わって王権が伸張した。とくにフランスでは,戦争末期に戴冠したシャルル7世が大商人ジャック=クールの援助で財政を再建し,常備軍を創設して諸侯の抑圧に成功した。戦後はルイ11世が諸侯領を奪い,さらにシャルル8世がブルターニュを合併して中央集権を完成した。また,百年戦争中初めて出現した火器は戦術の変化をもたらし,騎士の軍事的優位をくつがえして,彼らの没落を促進することになった。一方,この戦争の過程で荘園社会が大きく変化し,黒死病の流行による農村人口激減や農民一揆の頻発は,その解体を早めた。とくにイギリスでは,羊毛の輸出地を失ったために国内での毛織物生産が発達し,商業も活発化するようになり,農村では,羊の飼育で経済力をつけた独立自営農民層が成長してきた。
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