●百人一首 ひゃくにんいっしゅ
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ひゃくにんしゅとも読む。100人の歌人の和歌を1首ずつ選んで集めたものをさすが,小倉百人一首が代表的。小倉百人一首は小倉山荘色紙和歌ともいい,権中納言藤原定家が小倉山の山荘で撰したと伝えられる。100人の内訳は,天智天皇(在位662〜671)が最も古く,上代は阿倍仲麻呂まで7人,平安時代が大部分で,鎌倉初期は西行から順徳院まで15人が選ばれている。江戸時代に始まる歌骨牌(うたがるた)――小さい紙札に小倉百人一首などの和歌の全句をかいて読札,下の句だけ書いて取札とする。散らした取札のなかから,読札の上の句を読むに従って取った。その下の句の札の数の多少により勝負を決する――に小倉百人一首が用いられ,現在では小倉百人一首即歌がるたと考えるのが一般的。歌がるたの競技はスリルありロマンありで,今日でも日本選手権試合も行われている。遊び方としては源平合戦・散らし・散らしどり・個人対抗などがある。後世,「狂歌百人一首」「新百人一首」「愛国百人一首」などができた。文学・俳諸・かぶき・浄瑠璃などに与えた影響は大きい。