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●百日天下 ひゃくにちてんか

ヨーロッパ フランス共和国 AD815 フランク

 エルバ島を脱出したナポレオン=ボナパルトが,1815年3月20日から6月28日まで樹立した政権。ルイ18世第1次復古王朝は領主徴税権の復活などを企て不評であったが,ナポレオンは3月1日,護衛の小部隊を率いてジュアン湾に上陸,鎮圧に差し向けられたネイ将軍などの部隊を味方につけ,3月21日テュイルリー宮殿に入った。自由主義者と妥協し,4月22日,バンジャマン=コンスタンの作成した帝国憲法付加条項を承認して,ナポレオンの任命した貴族院と普通選挙で選ばれた衆議院の二院制がしかれ,言論・出版の自由は保障された。ウィーン会議に集まったヨーロッパ列強はこれを認めず,皇妃マリー=ルイーズもフランスに戻らなかった。戦争が再開され,ベルギーに進撃したナポレオンは,6月16日プロイセン軍をリニーで破った。しかし,このときの敗将ブリッヒャーが2日後のワーテルローの戦いでイギリス軍と合流したため,勝利を目前にしてフランス軍は総崩れとなり,イギリスに降伏した。パリに戻ったナポレオンは全権を掌握しようとしたがフーシエやラファイエットに拒まれ,22日愛児ローマ王をナポレオン2世として皇位を譲った。フーシエはタレーランと通じてルイ18世の復位を行った。ナポレオンは,アメリカヘ脱出を欲したが断念し,ロッシュフォールから進んでイギリス船に乗り,プリマスにいったん上陸ののち,イギリス政府の決定により南大西洋上セント=ヘレナに流された。

 百日天下をふり返ってナポレオンは,〈余はジャコバンの基盤の上に政権を築くべきであった〉と反省したが,自由帝政の試みは,のち,ナポレオンを自由の守護神とする“ナポレオン伝説”の形成に役立つことになる。