●百姓請 ひゃくしょううけ
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荘園年貢の納入を,村ごとにまとめて名主百姓に請負わせることをいい,鎌倉・室町時代にみられた。鎌倉時代に地頭が設けられてから,荘園年貢は地頭が請負って納入することになったわけであるが,逃亡百姓のある場合には,近隣百姓(名主)に請負納入させることもあった。これが百姓請のはじめであるが,それはむしろ例外的なことであった。南北朝期以後郷村制が発達し,名主を中心とする村落の自治組織が形成されると,郷村のなかの有力な名主,つまり乙名(おとな)・肝煎(きもいり)などと呼ばれた百姓たちに,その村落内の年貢の徴収を請負わせたのであった。そこに形成された郷村内百姓の自治体制は,幕藩体制の確立された江戸時代には,村の自治として一般化した。江戸時代の年貢徴収は,村ごとにまとめて年貢割付状を出し,名主の責任において納入させたのである。鎌倉・室町時代の百姓請のことは地下請(じげうけ)といった。