●卑弥呼 ひみこ
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『魏志』倭人伝にみえる邪馬台国の女王。邪馬台国では,もと男子を王としていたが倭国が乱れて,たがいに攻め合ったので卑弥呼をともに立てて王とした。彼女は〈鬼道を事とし,能く衆を惑はす〉とあり,年が長じても夫をもたず,弟が政治を助けた。婢1,000人が侍し,ただ男子一人が飲食を給し,辞を伝えるために居処に出入りした。宮室・楼観(ろうかん)・城柵(じょうさく)が厳かに設けられ,つねに兵士が守衛した,という。卑弥呼共立の背景となった倭国が乱れた年代は,『後漢書』東夷伝に〈桓霊(かんれい)の間〉とある。桓帝・霊帝の世をさし,146年から188年のあいだになる。この時期には後漢に大疫病が流行していたので,倭国にも伝染した可能性がある。239年,卑弥呼は遣使を魏に送り親魏倭王の称号を受けた。247年,狗奴国と争い,その状況を魏に報告している。卑弥呼が死んだとき径百余歩の墓がつくられ,奴婢100余人が殉葬された。次に男王を立てたが国中が治まらないので,宗女の壱与を王とした。〔参考文献〕佐伯有清『研究史邪馬台国』1971,吉川弘文館
佐伯有清『研究史戦後の邪馬台国』1972,吉川弘文館