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●被服 ひふく

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 着る目的で人体をおおい包むものの総称。したがってかぶりもの・はきものも含む。学問としては理論科学の基盤の上に樹立された実践科学である。実践の内容は,総説・材料・造形・製品・着製・機能・管理・変遷の順序に区分する。

【総説】関係語彙のおもなものとして,衣服とはかぶりもの・はきものを含まない被服。服装とは被服を人間が着装した状態,衣裳(いしょう)とはしきたりによって慣用されている被服。制服とは規則で決められている被服。服飾とは被服に装身具も含む場合である。

 被服の起源には,[1]気候適応説,すなわち5万〜10万年前,第4氷河期の寒さに対して人類は初めて毛皮類を着はじめた。[2]人体保護説,すなわち裸態で傷つくのを防ぐために被服を着はじめた。[3]人体装飾説,すなわち護符・象徴などとして身につけていたものが装身具となった。

 被服の目的には,[1]生理衛生上の目的(防寒・防暑・防雨・防傷),[2]生活活動上の目的(勤務・作業・運動などの活動生活,就寝・療養などの休養生活のため),[3]装飾審美上の目的(美観を整えるため),[4]道徳儀礼上の目的(社交・親和・儀式などのため),[5]標識類別上の目的(制服・職業服によって着装者を表示するため),[6]扮装擬態上の目的(扮装・変装・仮装・擬装によって別の人物にみせるため)の区別があり,[1]〜[2]は対人体,[3]〜[6]は対社会の目的である。これらに関しては,被服と人体,被服と気候,被服と社会の関係について学ぶことが必要である。

【材料】被服材料は,[1]繊維製品,[2]皮革製品(毛皮を含む),[3]フィルム製品(ビニールフィルムのレインコートのごときもの),[4]フォーム製品(ウレタン発泡体のごときキルティング材),[5]雑製品(ボタン・ホック・ファスナーなどの材料の貝・石・金属・ゴム・プラスチックなど)に分類される。

 繊維の利用は約1万年前,人類の新石器時代,定住農耕生活をするようになって始められ,麻・絹・羊毛・綿などを天然から採取し,毛や綿のような短繊維は紡績技術の発明によって糸とし,同時に織る技術の発明によって織物として衣料に用いた。

 糸をからげる編物も,古く織物と前後して発明されて利用されてきた。これら糸紡ぎや機織りや編物は簡単な道具で手工的に行われてきたが,18世紀後半から始まった産業革命によって機械化されて大量生産されるにいたり,衣生活は豊かになった。

 原料繊維については19世紀末から人造繊維の発明が相次いで,最近ではとくに合成繊維の生産が増進し,その特性が利用され,衣料の取り扱いが簡便にかつ能率的になってきた。染色についても,古来の植物染料から人造染料へ移り,色彩の種類も強さも向上して衣生活をはなやかにするようになってきたのである。

【造形】布地・皮革などを素材として被服を形成する手段をいう。従来裁縫といわれ,和裁・洋裁に区別されている。和裁は直線裁ちの平画化,洋裁は曲線裁ちの立体化をそれぞれ特徴とする。裁縫はいずれの民族でも,女子の仕事として結婚の一条件と考えられていた。日本では明治以後洋服の普及に伴って洋裁の知識と技術を習得する専門的な教育機関,いわゆる洋裁学校が設立されて,衣類の家庭生産が進められてきたが,近来は工場生産の方式が発達した既製服が大量に出まわり,被服はつくるより選ぶ時代へ移ってきている。被服造形を歴史的にみると,旧石器時代の毛皮時代においてもすでに骨製の針が出土していて,動物の細長い腱を縫糸として毛皮を綴り合わせたと推定されている。しかし原始民族のあいだでは織物類の裁断縫製はあまり発達せずに非成形の長い布片を人体に巻き垂れる型式の衣料が多く,体形に近い形式に裁縫されるようになったのは中世からであった。長い時代を手縫いによって経過してきたが,近代にいたってミシンの発明(1840年代,アメリカ)と普及によって急速に発達し,あわせてテーラー(男子服専業)・ドレスメーカー(婦人服専業)の活躍により注文服・既製服が現代衣生活を豊かにするようになった。最近は既製服の製造もコンピュータによって生産の運営や操作の管理が行われて合理化されてきている。

【製品】造形された被服・装飾品などの種類は現代の生活文化の展開,たとえば生活圏の拡張(高山・深海・極地・宇宙),職業の多種類化,レクリエーション・レジャーの広範化,スポーツの発達などによって,きわめて多種多様に分化してきている。本来被服型式を分類すると5種別となる。[1]腰布型―古代エジプトのロインクロス,熱帯原住民の腰みのや前垂布などの腰まわりだけの被服型。[2]巻垂型またはドレーパリー―裁断縫製しない広幅の長い布片を腰に巻き肩に掛け腕に垂らすなどの型式で,古代ギリシア・ローマの服装,現代インドのサリー,熱帯原住民の腰巻衣など。[3]貫頭型―頭を通しかぶって着装する型式で,古代ギリシア女子のペプロス,南米アンデスインディオのポンチョ,中米のケスケミトルやウィピール,現代のプルオーバー(Tシャツやセーター)。[4]前開型―前割れ・前合わせ・帯しめ型のワンピース型,すなわち日本の和服・アイヌ服・蒙古服・チベット服・トルコのカクタン。[5]体形型―人体の形につくられた服型,すなわち洋服型。あらゆる被服は以上5種別のいずれかに属しているわけである。被服のサイズについては,和服は着付けることによってその人の体形に合わせることができるから,サイズ区分はとくに必要ないが,洋服は体形型に裁縫されているから,着る人の体形に合わせるには多数のサイズ区分が必要である点が特色である。既製服には数十種類の大小区分がつくられている。

【着装】世界各国各民族は,それぞれ定住している気候風土によって被服の着方が異なる。寒帯極寒の地方では毛皮服で全身を包む着方をし,熱帯酷暑の民族は皮膚を裸出する防暑的の着方をする。しかし砂漠性の乾燥地域は日射が強烈であるが湿度は低く乾燥しているために,頭の上から足までの全身をゆるやかに包んで防暑の効果をあげている。これは日本の夏季のごとき高温高湿の地域では不適な方式である。夏乾冬湿の気候,西欧や地中海地域で,夏季は湿気が少なくさわやかで冬季に雨が多く湿度が高い気候では,いわゆる洋服の型式が発達し,これに反して夏湿冬乾の気侯,すなわち日本のごとく夏季は湿度が高く蒸し暑く冬季は乾燥して刺寒を覚える気候状態では,冬の寒さは綿入れの着物や重ね着で容易に保温することが可能であるが,夏の蒸暑に対してはできるだけ涼しく着ようと工夫して,開放的な和服の型式ができあがったわけである。最も涼しい服は,浴衣の型式である。このように洋服は防寒的,和服は防暑的であるということができる。被服を着装したときの区分として上下の区分,すなわち上衣(上半身用)と下衣(下半身用)に分け,内外の区分,すなわち上着(うわぎ,表着)と下着(したぎ,内着)とに分ける。また着装状態から区分すると,人体からみて被覆部と裸出部,被服からみて接体部と離体部とに分けることができる。また被服を着装したときの容積定量を上半身と下半身と対比してみると,婦人洋装は上軽下重,男子洋服の場合は反対に上重下軽の傾向があり,この対比は中世近世の洋服では顕著に現れている。また,被服は着ることばかりでなく,脱ぐことも服装を整える手段である。脱衣の目的には,着替えのため,労働・運動の場合の軽装化のため,夏の防暑のため,かぶりもの・外衣などを儀礼のために脱ぐ場合,表着を脱いで下着の美を示すため(たとえば日本舞踊の引き抜き)などがある。脱衣の方式にもいろいろの種別がある。不用脱衣に対して臨機脱衣(また着る脱衣,ねまき・夏服・冬服のごときもの),完全脱衣に対して部分脱衣(上半身だけ脱ぐ武家夫人の夏季の腰巻姿,近代の婦人の表スカートが前からしだいに後退し,アンダースカートが表面に現れて表着となる後退脱衣)などがある。脱衣の最後は裸態(裸体の状態)であるが自然裸体と脱衣裸態の2種がある。前者は生まれたままの姿で成長し社会を営んでいる熱帯の裸族で,男女とも完全な裸態に羞恥をもたず生活している。後者は文明人の場合で,常時被服で人体を隠していているので羞恥心が生じ,裸態を非礼であると考える。

【機能】被服の機能は[1]保健性,[2]装身性,[3]適応性,[4]耐久性に分類する。[1]保健性は外界の寒暑風雨に対して人体を防護する働き,すなわち防寒性・防暑性・防雨性,および外物によって傷付くのを防ぐ働き,すなわち護身性を内容とする。防寒(保温)の原則は,[a]熱伝導の最小の空気を着ること(その手段として含気性の繊維製品または毛皮・発泡体・羽毛のごとき材料を利用することと,重ね着によって材料と材料のあいだに空気を挟んで着る),[b]その着た空気を保持すること(その手段として難通気性材料として皮革・紙・織目の密な材料を用いて外からの寒風を入れず内部の暖かい空気を逃がさないこと,被服の窓ともいうべき衿・袖・裾の開口を小さく密着させること)[c]合理的な用法として,内側に含気性の材料を着用し,外側に難通気性の材料を重ねるという組み合わせをする。防暑の原則は,[a]体熱を放散させること(その手段として,人体裸出部の拡大,易通気性材料の利用,被服の窓である衿・袖・裾を大きくゆるやかにすること,および発汗の吸収蒸発を促進すること),[b]日射熱線を防遮すること(その手段として,頭上に日傘・つば広の帽子などを用いること,砂漠性乾燥暑熱の地方では全身を被覆すること)である。防雨性については,雨傘を併用する場合は通気性防水布のレインコートを着用し,屋外作業をする場合は直接に雨具で防雨することになるので不通気性防水布を利用することが望ましい。護身性については保護被服を利用する。作業用として安全帽(ヘルメット)・溶接マスク・作業手袋・防火服・農薬撒布服など,スポーツ用としては各種のマスク・胸当・脛当などのプロテクター,争闘用としては甲冑・鎧兜(よろいかぶと)・鉄兜・防弾チョッキなど,日常用としては炊事手袋・サングラス・軍手・キャラバンシューズなどを用いる。[2]装身性は服装の外観を整える社会的な機能で,その内訳は[a]適合性(被服が体形にフィットすること),[b]保形性(よい形状をいつまでも保ち形崩れしないこと)・識別性(被服の形態・色彩・材質および着衣の数量によって着衣者を見分ける働き),[c]審美性(被服の形態美・色彩美・動態美など),[d]容儀性(被服に現われた品位・格式・威容などで,審美性と必ずしも比例せず,むしろ着装者の教養の高低・観念の練否・習慣の良否に関係する服装の上品さ・立派さ)に分類される。[3]適応性は,[a]被服の動作適応,すなわち働きやすさ,運動しやすさの性能で,人体の裸出部の拡大・被服の離体部の削除・容積重量の軽減・伸縮性材料の利用などを原則とする。この場合,和服はその形態着装上からは動作適応に欠ける点が多く,働くときは特別な工夫が必要であり,その点で洋服は動作適応性が大であるので働くときに利用されている。[b]生活適応は,社会生活において T(時)・P(所)・O(場合)に合う服装を必要(たとえば訪問着とパーティードレスと喪服と式服などの使い分けを必要)とする場合をいう。また住居との関係では,日本の生活風習として,たたみの上の坐る生活と洋服,玄関ではきものを脱ぐ風習など不調和の点がある。[4]耐久性については,[a]材質の耐久性のほかに,[b]保健・装身・適応の機能の耐久性,および[c]被服の構造の耐久性も必要である。

【管理】被服の合理的な取り扱いによって衣生活を効果的に進めるのが被服管理の目的である。その過程は計画・整備・供用・整理・保管・処分の順序となる。[1]計画は衣生活の設計で,家庭を単位として収入・人数・年齢・性別などにもとづいて,年間の所要被服の種類・数量・時期・方法などの計画を立案することである。[2]整備は計画に従って準備して所有することで,最近は家庭製作・注文製作よりも既製品購入によって入手する場合が多くなっている。衣料の供給が豊富であるために被服の所持数も増大する傾向にある。[3]供用は被服類を着用使用することで,保健・装身・適応・耐久の所要機能を発現するように合理的な着方をすることが必要である。なお最近は“もたずに着る”という衣生活も可能となってきている。すなわち貸衣料の制度で,従来の花嫁衣裳などの貸衣裳のはかに,貸おむつ・貸おしぼりなどからシーツ・カバー・白衣・作農衣・芸能衣裳などを貸すリース業が企業化されている。[4]整理は洗擢・しみぬき・手入れなどの処理で,洗濯機・洗剤・アイロンなどの発達によって操作が簡単で効果的な取り扱いが可能となってきている。また合成繊維の進歩によって,洗ってもしわがつかずアイロンがけの必要がないイージーケア(手のかからない方式)の衣料が開発されて取り扱いが簡便になっている。[5]保管。被服類は備蓄資材であって,いつでも供用できる状態で保存しておくことが必要である。形を正しく,虫やカビの被害を防ぐ要領で保管する処置を講ずる。[6]処分。近来衣料の需給が潤沢となってきた結果として,不用死蔵の被服類が増加する傾向がある。これらは災害地・難民などに向けて有効な処分をする。最近は資源愛護の必要から不用品の使い捨てをやめて廃品利用をしようとする運動が進められ,衣料品についても不用品の交換即売・衣料のリフォーム(再生利用)・ぼろきれの回収などが行われている。

【変遷】服飾の移り変わりについては服装史によって時代的変遷を知ることとあわせて,服飾がいかなる変わり方をするかの変遷の原理原則を究明することが必要である。[1]服装史については,[a]西洋服装史,[b]日本服装史によって変遷の特色を学ぶ。[a]西洋服装史についての有史以前資料としては後期旧石器時代のクロマニョン人が描いた洞窟画(フランス南西部・スペイン東北部)に女子のスカート・男子の半ズボン・腰ひも・腕輪・脚輪・皮膚彩色などの装飾がみられる。西洋文明の発祥の地であったメソポタミア地方では遺物などによって毛皮のような材料で下半身をつつむカウナケスが用いられていたことが知られている。次に古代地中海文明の時代にはエジプトではシャンティ(腰布),ギリシアではペプロス,ローマではトガなどの非成形の布片によるドレーパリー(巻垂型)が一般に用いられていた。これら温暖な地中海気候に適した服装形式に対して,比較的寒冷な北欧・西欧において4世紀末から民族大移動をおこしたゲルマン人たちは,体形型の上衣とズボン,上衣と巻きスカートの構成による被服を用いていたことが出土遺物で知られる。中世においては地中海文明は西欧に移ってゲルマン諸族が文明を築きあげ,11〜13世紀にはゴシック様式が展開し,服飾の立体的構成が始められ,14世紀から始まるルネサンスの興隆に伴って服飾の過装時代を現出して過飾膨大な衣裳が流行し,男子は上重下軽,婦人は上軽下重の対が極端にまで進んだ。16〜18世紀には,西欧各国は強国となり王権が伸長し,宮廷生活は豪奢となり,ロココ時代には過装・過飾が人体を埋めて服飾は異常な展開を示した。しかし1789年フランス革命を契機としてはなやかな上級服飾は凋落して庶民的・実用的な服装が一般化し,男子服は活動的なジャケットとズボンの体形的な構成となり,テールコート(後すその長い上衣)がサックコート(背広服の原型)となり,婦人服も膨大な形から縮小し,現代にいたってロングスカートから活動的なショートスカートへと移ってきている。[b]日本服装史についてみると,わが国古代の服装は,中国の歴史(『魏志』倭人伝)によると巻垂型・貫頭型であったとされているが,古墳時代(4〜6世紀)においては埴輪人像にみるように,男子は衣袴(きぬはかま)すなわち筒袖の上衣にだぶだぶズボン,女子は衣裳(きぬも)すなわち筒袖の上衣に巻きスカートの構成の体形型で換言すると洋服型であったことがわかる。しかしつぎの奈良時代7世紀から隋や唐からの文化移入によって中国服飾を模倣した服制が定められたが,9〜11世紀平安時代になると日本独自の形式に装飾化し膨大化へ進み,束帯・十二単のごとき過装・過飾の服飾に展開した。しかし13世紀,鎌倉時代になると武家政体によって質実簡易化され実用的・活動的な服飾として直垂(ひたたれ)型式が生まれ,これが中心となっていろいろの服種へ分化した。つぎの室町時代15世紀以後になって,下着として着られていた小袖が表着の脱皮に伴ってしだいに表衣化し,室町時代後期15世紀末〜19世紀にいたる織豊・徳川時代においては,公家・武家の特権階級から町民へ経済力が移り,上流服飾の停滞に対して庶民服飾が発達し,とくに徳川鎖国文化のなかで染織の進歩に伴って小袖本位の服飾が発達して,いわゆる和服が形成され始め,羽織・半天が分化し帯が発達して町民服飾が華麗となった。幕末ごろから欧米文明が日本へ流入しはじめ,明治維新になっていわゆる洋服が移入されて,軍隊・官吏・学生などから一般に普及するにいたり,やがて洋服を活動用に,和服を装飾用・休養用に使い分けて定着するにいたっているのである。以上西洋および日本の服装史を通覧して共通な点は,初源において実用的な体形型の服装であったものが,文化の向上に伴って装飾化され膨大化されるが,やがて実生活に適応する基本的な被服の形へ復帰しているという経過である。[2]服飾変遷の原則は,東西古今の服装史を解体分解して,同じ変わり方をしたものを集めて分類して設定したもので,それらのうち主要な項目を略述するとつぎのようである。[a]環境順応の原則。服飾は自然環境とくに気候風土によって自然発生的に成立し,社会環境の進展に順応して人為的に変化をつづけるものである。[b]内因優越の原則。外的に強制される法律・規則・しきたり・約束などの外因よりも,人間の欲求から要請される内因のほうが優勢で,つねに最後には内因が勝ちその欲求のままに変化していくことになる。いずれの国でも服飾禁令が発布されてもその効力はすぐに失われて,何回でも出さなければならないことは,内因がつねに優越しているからであることを証明している。[c]漸変慣化の原則。服飾が徐々に変化していくと,それに慣れて,変化が進んで最後には,最初に比べるときわめて大きい変化であるにもかかわらず容易に受け入れられるという原理である。換言すると,急変は抵抗を感じて受容は困難であるということである。[d]逆行変化の原則。自然発生の服飾は,初め簡素機能的であるが,これをりっぱなものにしようとして装飾複雑化して最後には格式化・礼装化へおもむくのに対し,一方,人為設定の服飾は初め複雑装飾的であったものが,開放自由化の欲求によってしだいに簡素機能的に変化して日常服化するという逆方向の二つの変化がある。[e]模倣流動の原則。服飾は模倣という社会現象によって流動し,伝播(地域的移動)と伝承(時代的連鎖)によって変遷をつづける。[f]競進反転の原則。服飾流行の特色とする方向へ競い進みエスカレートして,ついに極点に達するまで進展して止まり,ここで消失するか,あるいは反転してもとへもどるかの変化をする。[g]表衣脱皮の原則。表着は脱皮される宿命をもっていて,脱がれた下から現れた下着が表着となり,これを繰り返す。和服は下着であった小袖が表衣化したものである。[h]形式昇格の原則。下級服飾が上級服飾になり,日常服は礼装に変わるという変化である。現代の礼装はすべて過去のふだん着である。[i]系列分化の原則。同じ系列のなかで,母型・子型・孫型の服飾が生まれるという原理。[j]不用退化の原則。被服はまたその一部が不用化し機能が失われると退化し,装飾として残存する。[k]停滞残存の原則。服飾が進歩発達せずに停滞残存したものが民族服飾となる。[l]性別対立の原則。服飾はつねに性別に対立する。[m]礎型復帰の原則。服装史にみるとおり初源的な基礎型式から離れて複雑膨大な服飾となっても,のちには生活適応の基本型へ復帰するものである。[n]国際同化の原則。世界をリードする先進国家の民族服飾(現在では欧米の洋服)が国際服飾として普及する。しかし各国独自の民族服飾はこの国際服飾と併存するのを原則とする。

〔参考文献〕小川安朗『体系被服学』1973,光生館

小川安朗『服飾変遷の原則』1981,文化出版局

小川安朗『服飾教本』1970,光生館