●火の神 ひのかみ
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火や炉に神性を認めて,それを家の守護神とする信仰はひろく分布している。【火の神聖視と神の機能】クーランジェの『古代都市』によれば,古代ギリシア・ローマの家々では祭壇に灰と炭を置き,火を絶やさないことが家長のつとめであり,それが消えることが神の不在となり家の断絶を意味した。家を出るときは必ず祈り,帰るとまず火の前で祈らなければならなかった。その機能は,自然界の神々に対する仲介者として祈願内容と供物とを伝達し,逆に神々からの恩恵を人間に伝えるものであったとされる。中国においても,『論語』に〈与其媚於奥,寧媚於竈〉とあることから,前5世紀には火を燃やす場としての竈(かまど)を神聖視して,老女が儀礼を行っていたことがうかがえる。清朝の年中行事には,6月23日を「火神誕」とし祝融という神名の火神をまつった。現在では,竈神は年末に昇天して玉皇大帝に一家の1年の行いを報告しに行き,年初に戻ってくると信じられている。家の吉凶禍福の運は玉皇大帝が決めるので,守護神としての性格は薄いが,仲介者としての役割を担っている。これをとりまく禁忌も多く,女性が洗い髪や乱れ髪で前に行ったり,股をひらいて薪をくべたり,汚れた紙をくべたりしてはならず,月経中や産後30日以内の女性は近寄ってはならないとされる。北アジアのアルタイ系諸民族でもみとめられ,主婦は炉の世話を怠らず,消えないように注意する。
わが国においても,アイヌの火の神は人間のことばを解する唯一の神であり,それがわからないほかの神々に対して,人々は火の神を仲介して祈願している。沖縄では家の神の代表として火の神があげられ,各家庭の台所ではかつて三つの石を鼎状に立てて炉としていた名残りの小石三つと香炉とを御神体のようにまつっている。民家だけではなく,ノロドゥンチ(祝女殿内)やムラの拝所にもまつられている。中国の影響で,年末に火の神は昇天し年初に戻ってくるという伝承をもつ。旧暦で毎月1日と15日には主婦がまつり,旅に出るときと帰ったとき,通過儀礼の諸段階,屋敷の祓い,ユタなど霊的職能者のもとへ出かけるときなどにも拝まれる。これらに共通して,火の神それ自体に対して祈願する面もうかがえるが,火の神を通して御獄の神などを拝む折口信夫の指摘する「オトウシ」,つまり遥拝の思考がみとめられる。火は直接的には保温・照明とった熱源・光源という効用に限られるが,その用法の多くは間接的な,つまりヤ金・土器製作・調理など,あるものの形を変える手段としてである。すなわち媒介するものであり,人々はそこに多様な意味をみいだしたのであって,火の神の仲介者としての機能もその関連で考えることができよう。
【火の神の地域性】沖縄の火の神は家の神を代表するものとみることができるが,九州以北になると多種多様な神々に囲まれ,機能を分有し複雑な性格をもつ。東日本では荒神と呼ばれ,作神の性格をもつオカマサマとともにまつられる例が多い。荒神は炉の切ってある部屋の柱や棚,屋根裏にまつり,オカマサマは土間の竈にまつる傾向がある。東北の一部では,ひょっとこ,火男などという土または木でつくった面をかけてまつる。西日本では荒神とか土公神と呼ばれ,両者が早く習合して火の神であるとともに家の守護神と考えている。これらに対して,苗や初穂をあげる習わしは全国的にみられる。九州では盲僧が竈荒神を清めてまわっていたが,これは近世になって山伏や陰陽師が荒神祓いといって各戸を回っていた伝統をひくものであろう。荒神や土公神という名称も,中世以降の祈祷師や民間宗教家の関与の結果であり,各地の信仰を複雑にしたと考えられている。
各家の戸口などに火伏せの神としてお札が貼られているが,その中央神的性格をもつものは,京都の愛宕神社と静岡県の秋葉神社で,その末社が勧請神として各地でまつられている。
〔参考文献〕大林太良編『日本古代文化の探究 火』1974,社会思想社