●雛人形 ひなにんぎょう
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3月3日の桃の節供に飾る人形は,明治以後精巧で華やかな行事となったが,雛人形がこんにちのような形となったのは,江戸時代の中期以後である。それ以前から“ひいな遊び”という女児の遊びがあったことは『源氏物語』にもあるが,これはこんにちの子供たちの人形ごっこのようなものだった。一般の社会で五節供といって節供が重んじられるようになったのは,15世紀ごろであったが,初めは手づくりでごく素朴なものだったと思われる。こんにちでも神奈川県の農村では野萱草(のかんぞう)をヒイナグサと呼びこの若い葉で草人形をつくったり,鳥取では流し雛が有名になったが,同じ風習は各地に存在する。祭った人形は祭りがすめば流してしまうのがつねであったから昔の古雛として残っているものは,当時としてはとくに高級のものであったことがわかる。また雛人形をまつるほかに,天神様の像を雛壇においてまつる風習も各地にある。