●毘曇宗 びどんしゅう
アジア 中華人民共和国 AD
毘曇は阿毘曇(アビダルマ)の略。対法・勝法と訳されるが,単に論とも訳され,「ダルマすなわち教法(経)に関する研究」の意。経律論の三蔵のなかの論蔵をも意味する。部派仏教はそれぞれに論をもって教学を展開したが,そのなかの説一切有部が主として中国に伝播,後にいわゆる中国仏教13宗の一つとされる毘曇宗を形成。中国仏教最初の翻訳家である後漢の安世高にすでに毘曇系仏典の翻訳があるようにその伝来は早い。前秦の道安(314〜385)によって仏典の研究の重要性が強調されてからは,以後,南北朝時代にかけて盛んに翻訳が行われ,毘曇系仏典による仏教教理の研究も進んだ。しかし唐代になって亥奘による『阿毘達磨倶舎論』の翻訳と,その門流による研究の進展の結果,後には倶舎宗の名で呼ばれ,毘曇研究を宗とする旧来の学派はそのなかに包摂されて消滅した。日本には倶舎宗が伝わり,南都6宗の一つとなった。