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●尾藤二洲 びとうにしゅう

アジア 日本 AD1745 江戸時代

 1745〜1813(延享2〜文化10)昌平黌教官として寛政改革時,いわゆる寛政異学の禁を主唱,以後の幕府教学を指導した江戸後期の儒学者。伊予(愛媛県)川之江の生まれ,名は孝肇,通称良佐。船頭の子に生まれたが足を病み家業から離れ大坂に出て片山北海の混沌社で儒学を修める。頼春水中井竹山・履軒兄弟らと交わり,春水のすすめで朱子学に専念するようになった。安永元年(1772)ころからすでに朱子学以外の異学禁止の主張がみられ,柴野栗山に朱子学以外の学を修めたものの仕官を禁ずる方向をすすめ,松平定信の教学方針に多大の影響を与えることとなった。この政策化がいわゆる寛政異学の禁である。寛政3年(1791)昌平黌教官となり,柴野栗山古賀精里とともに世に寛政三博士と呼ばれ官学派の巨峰たる地位をつづけた。主著として『論孟術旨』『正学指掌』などがある。