●ヒッティーンの戦い ヒッティーンのたたかい
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12世紀にイスラーム勢が十字軍に対して決定的な打撃を与えた戦争。カイロとダマスクスを掌中に収めた名将サラーフッ=ディーンは,イェルサレムと海岸線の十字軍占領地を奪回するが,この戦いはその序幕となるものであった。1187年7月2日,サラーフッ=ディーンはガリレー湖畔のティベリアスに陽動作戦を展開し,イェルサレム王の主力を湖西の丘陵地帯におびき出した。「ヒッティーンの角」と呼ばれる丘陵の突出部で,7月4日両軍は対決するが,フランス貴族ギー王を主将に,各侯伯領主,テンプル・聖ヨハネ両騎士団長らを各軍団の長とする十字軍は大敗を喫する。この戦いで3万人に及ぶ十字軍士が斃れたといわれ,ギー王をはじめ多くが捕えられた。戦略上イスラーム勢の作戦勝ちが指摘されている。その後イスラーム勢は,「落穂を拾うように」各都市を攻略し,9月30日,88年ぶりでイェルサレムを奪回した。