●ヒッタイト王国 ヒッタイトおうこく
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小アジアを拠点とする古代オリエントの強国。ミタンニ・カッシイトと並んで史上最古のインド=ヨーロッパ語族で,製鉄技術を独占し,戦車戦術を完成してオリエントを制覇した。貴族はアーリア系,被支配階級はアジア系のフルリ族であった。前18世紀にカフカズ経由でアナトリアに侵入し,前18世紀までに土着民を征服しハットゥシャシュ(遺跡は現ボアズキョイ)を都とする大帝国をたてた。その後領域を北シリアまでひろげ,前1600年ごろムルシリッシュはバビロンを急襲し,バビロン第1王朝は滅亡した。この後内訌により疲弊した王国を再建するためテレピヌシュは王位継承権を定めた「憲法」を定めたが効果はなかった(前1550ごろ)。前14世紀の初めシュピルリウマ大王(前1380〜前1340ごろ)の即位から最盛期が始まり,ミタンニを滅ぼし,北部メソポタミア・北シリアに進出し,シリア領有をめぐってエジプトと争う大強国となった。当時エジプトはアマルナ革命の最中で有効な対応ができず,ヒッタイトの侵略を許したが,その後第19王朝になってラメセス2世(大王)のときに両者のあいだに有名なカデシュの会戦(前1286年ごろ)がおこった。この戦いには双方の記録が残されていて最古の戦史として貴重であるが,勝敗は明らかでなく,両者の国境線はそのままだった。その後平和協定(最古の国際条約)が結ばれ,ついてヒッタイト王女とラメセス2世の婚姻が行われた。これを頂点として東は勃興するアッシリアに蚕食され,さらに「海の民族」の侵寇に悩まされ,前1200年ごろ滅亡したが,北シリア・北メソポタミアにはシリア=ヒッタイトと呼ばれる都市文化がしばらく残存した。彼らの使用した一種のヒエログリフとフェニキア語の2国語碑文がカラ=テペから発見されている。