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●肥前 ひぜん

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 もと火の国に属したが,律令時代に肥前・肥後に分かれる。『持統紀』10年条に肥後国とあるので,天武,持統朝のころには分立したと考えられる。『肥前国風土記』に基頴(きい)・養父(やぶ)・三根(みね)・神崎・佐嘉(さが)・小城・松浦(まつら)・杵嶋(きしま)・藤津・彼杵(そのき)・高来とあり,11郡よりなる。古来,『魏志』の末廬国以来,大陸との関係が深く,早くから文化が栄えた。中世には留守所が,1114年(永久2)に置かれ,長期にわたって東大寺の知行国とされた。1197年(建久8)の「肥前国図田帳」断簡には総田数を1万4,332町とするが,勅免分の主なるものは院御領袖埼3,000町で,836年(承和3)の勅旨田に由来するという。のち関東御領となった。また1167年(仁安2)平清盛の大功田に由来する杵島荘も大きい。松浦郡には松浦党が,小城には千葉氏などが活躍したが,戦国期には龍造氏が肥前をおさえた。近世には鍋島氏をはじめ,唐津・大村・平戸・五島などの諸藩が置かれた。 1878年(明治11)には,松浦郡は東西南北の4郡に分かれ,高来郡は南北2郡,彼杵郡は東西2郡にそれぞれ分割された。1896年(明治29)基頴・三根・養父の3郡は併せられ,三養基都とされた。

〔参考文献〕『長崎県史』『佐賀県史』