●備前 びぜん
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現在の岡山県東半部地域の古代以来の国名。7世紀の後半に吉備が分国したうちの1国。713年(和銅6)には,備前の北部6郡を割いて美作国が創置されたため,以後は岡山県の南東部のみを占めることとなった。平安時代10世紀初頭の『延喜式』や『和名抄』では,備前は,邑久・和気・赤坂・磐梨・上道・御野・津高・児島の8郡からなり,郷数は51であった。古い時期には,香川県の小豆島も,備前国児島郡の一郡であった記録がしばしばみられる。備前の国府は,御野郡にあったとされ,現在の岡山市国府市場付近であったとするのが通説である。国分寺および国分尼寺趾は,現赤磐郡山陽町にある。備前刀は,邑久郡の北部,現在の長船町のあたりで生産された代表的産品であり,備前市伊部で中世以来の伝統をもつ備前焼も有名。備前法華ということばは,この地で法華宗が盛んであったことを示す。江戸時代に,池田家が備前32万石の藩主として,岡山を城下とし,明治以後県都となった。
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