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●美術館 びじゅつかん

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【現在の美術館】美術館−−ミュージアム・ギャラリー−−はふつう,絵画・彫刻・工芸品などの文化遺産を収集し,鑑賞・啓蒙・研究のために公開展示する機関と理解されている。現在の美術館は,公立美術館としては国立・王立・市立・寺院管理などの美術館から財団管理の美術館,それから私立の美術館などの区分のほか,たとえば装飾美術館・肖像美術館などの種類別にも分化し,さらに古典美術館と近代美術館の分類化傾向がみられる。ミュージアムという語はギリシア語のムセイオンからきており,ミューズすなわち芸術と科学をつかさどる女神の殿堂を意味する。日本では博物館とも美術館とも訳されているが,欧米でも同じで,たとえば大英博物館近代美術館・ルーブル美術館というように使われている。なお,ロンドンの有名なナショナル=ギャラリー・テート=ギャラリーなどの大型美術館はギャラリーをミュージアムと同じ意味で用いている。この点は日本とは違っている。

【美術館の歴史】[1]誕生までの沿革−近代的な定義にふさわしい美術館が出現するまでには,古代以来長い歴史が綴られていることは当然推察できるが,その歴史の大筋だけを要約してみよう。すでに古代ギリシアや古代ローマの時代には宝石や工芸品の個人収集はふつうに行われていたというから,美術館の源流が個人の収集から始まるとしたらきわめて長い歴史である。中世になると,国王や封建君主や教会のコレクションが富として形成されてくる。とくに教会や聖堂のコレクションは,啓蒙用に公開されたから,公共美術館の成立につながる性格をもっていたといえるだろう。しかしこれらのコレクションは美術館的であるよりも博物館的な多様な内容をもつものであった。1400年代から1500年代の,ルネサンス期になると,周知のようにルネサンス美術の華が咲き誇る時代が到来する。美術品の個人収集が飛躍的に高まるのはこの時代であった。貴族・学者・教会の高級聖職者たちは美術品の鑑賞能力が高まるにつれて,芸術家の作品の購入を競うようになった。教会や聖堂は宗教画や彫刻作品で豊かに飾られていたので公開鑑賞の役割を高めた。しかし個人コレクションの一般的公開にはいたらず,貴族や学者たちは収集品の展示場を邸内に設けて客にみせ合ったようである。その長方形の展示場をギャラリーと呼んだという。またこの部屋で貴族たちが研究をするためにムゼオと呼んだともいう。そしてこれが今日のギャラリーとミュージアムにつながってきたといわれる。この時代の最も大型な個人コレクションは,フィレンツェのメディチ家の美術コレクションであり,これが今日,世界の美術館のなかでも質の高い有名美術館となっているウフィツィ美術館の母胎である。[2]パリ,ルーヴル美術館の登場−最初の真の意味での公共美術館の誕生はパリのルーヴル美術館の公開であった。ルーヴル美術館の収集品は,いうまでもなくフランス歴代の王室の収集品であるが,1793年,フランス革命後の共和国政府が国立美術館として公開を実現した。したがって,一般公開という近代的な美術館の誕生はフランス革命の市民的思想が産んだものであったといえる。このルーヴル美術館の一般公開は美術館の歴史の上でもきわめて重大な意味をもつ革命的事件であったが,フランス革命に端を発した市民時代への幕開けという歴史的背景も手伝って,ルーヴル美術館の例は博物館および美術館の公共的役割に世界の関心を向けさせるのに役立った。すなわち19世紀に入るとロンドンのナショナル=ギャラリー・マドリードのプラド美術館・ベルリンの国立ダーレム美術館・ミュンヘンのアルテ=ピナコテーク・ロンドンの装飾美術館・ビクトリア=アンド=アルバート美術館・フィレンツェのウフィッィ美術館・レニングラードのエルミタージュ美術館・アムステルダムの国立美術館・ヴァチカン美術館・ウィーン美術史美術館・ニューヨークのメトロポリタン美術館など世界各国にわたって大公共美術館が出揃って活動を開始している。

 以上は,欧米における代表的な大型美術館の例にすぎない。詳述すると,貴重さにおいてそれぞれ優れた美術館の数は尨大な量にのぼるであろう。19世紀から20世紀にわたって,公共美術館の盛況時代を現出している。

【美術館の運営と整備】公共美術館の時代が進むにつれて,美術館の運営と整備の問題が各館共通の課題となってきたのは当然であるが,収蔵美術品の保管と展示という二つの機能を軸に各館でそれぞれ考案が重ねられ,鑑賞者や研究者のための配慮に運営上の研究が加えられている。大型美術館の多くは,ルーブル美術館やレニングラードのエルミタージュ美術館のように,王朝時代のコレクションが主体であり,したがって,美術館自体が旧王宮や貴族の邸宅や当時の公的建築物を美術館に改造したものが多いので,美術館そのものが美術遺産の一部を兼ねるのがヨーロッパの大型美術館の魅力と特色になっているが,それだけに,不便な点もある。その点,美術館として新しく建造される美術館は,機能主義を中心に設計されているので,たとえばニューヨークのグッゲンハイム美術館やアムステルダムのゴッホ美術館のように,最初にエレベーターで最上階に上り,順次展示室を鑑賞しながら階下に降りる方式の設計が試みられたり,メキシコ市の近代美術館のように,天井から自然光を採り入れ,ガラス張りの外壁でカーテンの操作で光線の調節をする方式が試みられたり,さまざまな試行が実践されている試行時代である。そのなかで最も大胆な機能主義的設計が近年パリに開設されたポンピドー=センターであろう。鉄のパイプとガラスだけで組み立てられた建物で,建築自体が超モダンで,美術館としてもほかに類をみない尖端的な建築物である。

【ルーブル方式とポンピドー方式】美術館のなかでも古典美術を対象としている美術館と現代美術を対象とする美術館の場合とによって運営の方式が違ってくる。古典美術を対象とする美術館の場合は,収蔵作品の保存が第一義であり,保存を軸にしながら鑑賞のための展示方法や構成に知恵をしぼるのが主要な仕事であった。そのために展示品の分類や採光・温度調整や作品鑑賞用の解説ビデオや複数の言語による携帯用の解説装置などが各美術館に普及しつつあるし,作品の展示替えや美術館そのものの改装・改造などもこの基本思想をもとに進められている。この課題は世界の美術館に最初から共通したものである。

 美術館にとっての新しい課題は,20世紀に入って美術館が当代の現代美術を対象にするようになったときに登場した。それは,美術館が現代作家の作品を収集する場合に価値評価の選択基準をどうするかという問題である。この課題に対してルーブル方式という考え方が生まれ,各国の美術館に影響することになった。その方式の要点は,流動する美術史の現実の流れのなかから価値評価の安定した作品を選ぶことは難しいが,美術財を収集保存する美術館としては慎重な態度が必要であるというので,ルーブル美術館は作家の死後50年を経過して評価の安定した作品を収集することにし,印象派から19世紀末までを印象派美術館として1947年にルーブルの付属美術館として開館し,同時にその次の時代すなわち20世紀に及ぶ作品を対象として国立近代美術館を開館した。近代美術館の開設が世界的に拡大するにつれて,このルーヴル方式が基準になった。しかし,20世紀の美術史が価値基準が極端に分裂する方向に進行したために,安定した選択の基準が崩れ,その結果として,慎重なルーヴル方式では美術館は現状に対処できなくなった。流動の激しい美術創造の流れに美術館が対応できる唯一の方法は,次々に興亡する新芸術を反映する選択をし,価値の判定は歴史にゆだねる以外にないという考え方が登場した。この考え方を基礎にして登場したのがポンピドー方式であるといえる。フランス国立ポンピドー芸術・文化センター(通称ポンピドー=センター,仏語でサントル=ポンピドー)は,発案者ジョルジュ=ポンピドー大統領の名を冠して戦後パリに開館されたが,20世紀の芸術活動の歴史を通観的に収集するという壮大な革新的思想に踏み切ると同時に空前の規模をもつ芸術・文化センターを発足させた。ポンピドー=センターの登場によって,美術館の在り方にはルーブル方式とポンピドー方式の二つが両立することで,公立美術館が美術史の過去から現在までを処理できる仕組みが確立したといっていいだろう。各国の美術館は,それぞれの事情や規模に応じながら,この二つの方式を加味した運営傾向を進めているのが現状であろう。

 この項目で一言付記しておかなければならないのは,ポンピドー方式の先駆としてのニューヨーク近代美術館の業績である。戦後最も激動の激しかった前衛美術作品を最初に取り上げたニューヨーク近代美術館の革新的思想がポンピドー方式の出発点であったことは見逃せないからである。

【美術館の国際的協力】各国における美術館の増設と整備に伴って,国際的な美術展の大型化と増加が近年目立ってきた特色であるが,この動向を加速させる要因に,各国の公共美術館が主体になって,国家的な規模の協力を拡大しつつあることがあげられる。美術財の展示と鑑賞がグローバルな規模で実現するための美術館同士の国際的協力は,美術館の機能と役割の歴史に新しいエポックをつくりつつあるといえるだろう。