●ビザンツ文化 ビザンツぶんか
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ビザンツ帝国(東ローマ帝国,330〜1453)の文化。首都コンスタンティノープル(現在のイスタンブール)を中心に,約1,000年にわたってバルカン半島から東地中海までの領土を維持した帝国の文化は,ヘレニズム文化を基調としながらも,ササン朝ペルシアやイスラームの文化を吸収・融合し,独自の性格をもつにいたった。その特色の一つは,帝国の立地的条件からギリシア文化の伝統が継承・保存されたことであり,7世紀以後ギリシア語が帝国の公用語とされたことも手伝い,ホメロス以下のギリシア古典の研究が活発化し,各地の修道院には多数の古写本が所蔵された。やがて,それはイスラム世界を通じてローマ・ゲルマン的な西欧世界に伝えられ,12〜13世紀の西欧における学問発達に大きく貢献した。さらに,1453年のオスマン=トルコによるコンスタンティノープルの陥落と相前後して,多数の学者・芸術家がイタリアに移住したことは,イタリア=ルネサンスの開花に大きな影響を与えたといわれる。
ビザンツ文化の特色の第2は,キリスト教精神である。アタナシウス派キリスト教を国教として堅持し,皇帝教皇主義のもと,コンスタンティノープル教会は神秘と敬虔を主軸とする内的信仰を重視した。とくにニケーアの正統信仰を伝える初期キリスト教教父の注釈祖述をとおして,教義学・論証法・聖書解釈学・説教文学などが発達したが,そのなかでもビザンツ文化を象徴するものとしては教会建築が名高い。ドーム(大円蓋)と内壁のモザイク装飾を特徴とするその建築様式は,ビザンツ式と称され,代表的なものに,コンスタンティノープルの聖ソフィア寺院・ラヴェンナの聖ヴィターレ寺院がある。教会建築との関連で,フレスコ画やミニアチュール(細密画)も発達した。
第3の特色は,東欧世界の形成に寄与したことである。コンスタンティノープル教会は,聖像禁止問題をきっかけにしだいにローマ教会と対立を深め,1054年には完全に分裂した。しかし,そのキリスト教(ギリシア正教)は,ブルガリア人・セルビア人・ロシア人といった周辺のスラヴ民族を教化することに成功し,より広いまとまりをもった世界を形成していくのである。いわば,ローマ文化・ゲルマン人・カトリックを柱とする西欧世界に対して,ギリシア文化・スラヴ人・ギリシア正教を柱とする独自の世界であり,それを東欧世界と呼ぶならば,その中心をなしたのがビザンツ文化であった。ビザンツ帝国の崩壊後,その中心は“第3のローマ”ロシアに移っていく。