●ビザンツ式 ビザンツしき
アジア アジア AD
ビザンツ帝国において発達した美術で,年代的には330年から1453年まで,地域的には多少の変動はあるものの,バルカン半島と小アジアをそのおもな領域とした。同時にビザンツ美術は,ギリシア正教会の美術として発展したため,ギリシア正教を受け容れたスラヴ諸国にその足跡が多く残っている。【発生】ビザンツ美術は,ギリシア・ローマ美術の伝統を受け継ぎ,同時に,東方(オリエント)の影響を受けつつ独自の発展を遂げた。その最大の特色は,独自の美意識にある。美とは,ビザンツの人々にとっては,西欧的な調和や比例といった表面的な形象にあるのではなく,真の美とは,彼らにとっては内面的・形而上的・精神的価値にあるという。したがって,彼らが最も好むのは華麗な色彩である。このことは,たとえば二次元の世界に極彩色を使って描かれる聖画に,最もよく現れている。ビザンツ美術は,建築・絵画・彫刻と工芸の3分野に,主として傑作を残している。その時期は,およそビザンツ帝国の歴史的時期と合致している。[1]初期―330年のコンスタンティノープルの開都から,843年の聖画像崇拝禁止運動の終了時まで。[2]中期―マケドニア朝(850〜1050)およびコムネノス朝(1050〜1204)。[3]後期―パレオロゴス朝。ラテン王国時代(1204〜61)およびパレオロゴス朝(1261〜1453)。建築の分野ではいうまでもなく,教会建築が主流である。それは,ギリシア十字型プランによるドーム建築であり,塔を中心とするラテン教会のそれとは大きな相違を示している。絵画も宗教絵画が主流であった。キリスト・マリア・天使・聖人を主題にした聖画が主流を占めた。彫刻では,木彫や象牙細工が,工芸では,金銀細工・エマイユ芸術に,とくにみるべきものがある。いずれも,宗教的題材をモチーフにしたものである。
【区分】各時期の概要はおおよそ次のとおりである。[1]初期。ビザンツ美術史上の第1期の黄金時代とも呼べるものが,ユスティニアヌス1世治下に訪れた。ニカの乱(532)で,焼け落ちた首都の多くの建築物の修復と,皇帝自身の建築熱のもたらした結果である。なかでも,ハギア=ソフィアの再建(建築家トラレスのアンテミオスとミレトのイシドロス)は,のちの教会建築の模範となるものであり,こんにちにいたるまでハギア=ソフィアは,ビザンツ建築の代表的作品として名高い。絵画の領域でも,6世紀には精神の目に写るキリストを象徴的に描き,描かれたキリストに神性を認め,これを崇拝の対象にする聖画が流布した。なかには,その神性を強調するあまり,「人の手で描かれたのではない聖画」まで登場した。が第1期の黄金時代の作品も,聖画像崇拝禁止運動(726〜843)により多くは破壊された。また美術活動そのものも禁止され,ビザンツ美術の発達は,そのためこの時期には頓座した。[2]中期。美術史上最も重要な時期で,マケドニア=ルネサンスの名が示すように,文学と芸術に一大文芸復興期が訪れた。建築の領域では,コンスタンティノープルの聖使徒教会(歴代の皇帝の棺が納められる教会)を模してつくられたヴェニスのサン=マルコ教会がある。また同教会の所蔵であるパラ=ドーロと呼ばれる祭壇は,エマイユ芸術の傑作である(10世紀)。また,モザイク壁画(アテナイ近郊のダフニ教会)・タペストリー・刺しゅう・織物・絵入り写本などにも多くの作品を残している。この時期はまた,ビザンツの工芸家たちが海外に出て,ビザンツ美術をひろめたことでも有名であった。[3]後期。政治的にはまったく振るわなかったパレオロゴス朝ではあったが,逆にそれだけ文芸が盛んで,パレオロゴス=ルネサンスを生んだ。アトスの修道院建築,オフリダ・ストウデニッツァの教会建築や,現存しているギリシア語の絵入り写本のほとんどすべてが,この時代の作品である。ビザンツ帝国滅亡ののち,ビザンツ美術は,ギリシア・バルカン(ことにセルビア・ブルガリア)・ロシアなどに受け継がれ,いわゆる「ビザンツ以後のビザンツ」時代をつくりあげ,その伝統はこんにちまで受け継がれている。