●ピサ公会議 ピサこうかいぎ
ヨーロッパ イタリア共和国 AD
1378年に始まった教会大分裂(シスマ)を終わらせるため,1409年イタリアのピサに枢機卿が召集した公会議。当時ローマ教皇グレゴリウス12世とアヴィニョン教皇べネディクトゥス13世が並立し,ヨーロッパの教会を混乱させていた。ピサには100人近い司教・大司教,同数の修道院長その他400人以上の代理人が参集した。会議では召喚に応じない両教皇の廃位を宣告し,枢機卿たちはフランシスコ派のギリシア人ペトルス=フィラルギスを新教皇アレクサンドル5世に選出して,会議を解散した。しかし両教皇はこの宣告を受け入れなかった。そこでグレゴリウスはドイツ皇帝,ヴェネツィア・ナポリ・リミニ大公,ベネディクトゥスはスペインとスコットランド,アレクサンダーはその他のほとんどの支持をうる。“呪われた対立”が“憎むべき対立”にとって変わった。この会議はまさに緊急時には公会議が教皇の上に立ちうる“公会議首位”の時代を開くものであった。1417年コンスタンツ会議で3教皇が廃位され,唯一教皇マルティヌス5世が選出されて解決をみる。