●彦山信仰 ひこさんしんこう
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九州最大の修験道道場であり,その歴史も古い。1729年(享保14)に霊元法より“英彦山”の勅額を下賜されて以来,英彦山・英彦山神社と書くことが一般的であるが,それ以前は“彦山”と記されている。彦山は北魏の善正あるいは新羅の鹿春神(かはるがみ)がこの地に渡り開いたとも伝えられているごとく,北九州にあって大陸との交渉を伝えていることも特色の一つである。中世期には彦山霊仙寺を中心として1山10谷49窟3,800坊と称されるごとく修験道道場として栄え,求菩提山・松尾山・檜原山・福智山などの諸山を支配下におき,春夏秋3季の峰入りが行われてきた。戦国時代は龍造寺氏・大友氏などと敵対し一山が大きく変動したと伝えるが,近世期には天台系に所属するものの多数の坊・院・庵などによって一山を構成し,九州一円に檀那をもって大きな勢力を保持してきた。けれども明治初期の神仏分離によって多くの堂宇仏像が失われた。