●引付衆 ひきつけしゅう
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鎌倉・室町幕府の職名。1249年(建長1)執権北条時頼の執政下,裁判の迅速化・正確化をあわせ得るべく設置された。評定衆の兼任する引付頭人に属し,数名の評定衆,諸事務を行う奉行人とともに一方引付を構成した。設置以後,1284年(弘安7)までの就任者は,『関東評定伝』によって知ることができる。初期においては右筆経験者および有力御家人が任ぜられたが,しだいに北条一門,とくにその若年者によって占められるにいたり,評定衆に昇任するにあたっての単なる1ステップとして,その実質的な訴訟審理の役割は形骸化したといわれている。室町幕府もこの制を受け継ぎ,国別に数万に分かれてほぼ鎌倉時代の所務沙汰に相当する引付沙汰を担当したが,鎌倉期のような評定衆への昇任はなく,室町中期に引付沙汰が廃絶して御前沙汰がこれに代わると,引付衆は単に身分や格式を示すだけの名目的なものとなってしまった。