●東アジア文化圏 ひがしアジアぶんかけん
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中国を中心とし,その周辺の朝鮮・日本・ヴェトナムなどを含む地域に形成された文化圏。漢字・儒教・律令制・仏教などの文化を共通指標とする。漢字は中国で創作された文字であるが,これら周辺諸民族に伝えられ意志伝達に用いられるとともに中国の思想・学問の普及を可能にした。儒教は春秋時代に成立し,漢代に国教となって以来,歴代中国王朝の政治思想として機能するとともに周辺の朝鮮・日本にも伝えられて,それらの国々の政治思想あるいは社会倫理思想としての役割を果たした。律令制は皇帝支配の体制を完備された法体系で運用するという中国の政治体制だが,朝鮮・日本・ヴェトナムなどにも採用され,東アジアに共通する政治体制となった。最後の仏教はインドに生まれたものであるが,そのうちの大乗仏教は,中国を中心として二次的に展開され,中国化した仏教が朝鮮・日本・ヴェトナム等に伝えられ東アジア仏教文化圏を形成し,建築・絵画・彫刻などの仏教美術を伝えていった。この東アジア文化圏は中国を中心として形成され,展開された点に特色がある。朝鮮・日本・ヴェトナムにおいても,それぞれ独自の文化があり歴史が展開されたが,それらはいずれも中国文明の形成と展開に深い関わりをもちながら行われており,このことを無視してはそれを理解することは困難である。
また東アジア文化圏について共通指標をなす漢字・儒教・仏教などの文化は,文化それ自体として独自にそれらの地域に広がったものではない。中国王朝の直接的もしくは間接的な支配あるいは規制を媒介として初めて周辺諸民族に伝播されたものである。例えば漢字の伝播一つとってみても,周辺の民族が文字をもたなかったがために,漢字を知って意志伝達に便利だからとして広がったことでは決してない。漢字はアルファベッ卜と異なり特殊な音によって特殊なことばを表現する表意文字であり,言語体系をまったく異にする周辺民族に広がっていくことはありえない。漢字を周辺に広げたのは文字の力ではなく,漢字あるいはそれで綴られた文章を用いざるをえない関係が中国と周辺諸地域とのあいだに生じていたからにほかならない。それが冊封関係といわれるものである。冊封とは周辺諸国の首長・君主に中国皇帝が官爵を授けて王侯に封ずることである。もともとは中国の天子がその一族・功臣を王・侯に封建することであったが,漢以後は国際関係にも拡大され冊封された周辺国家の首長・君主たちは中国皇帝と君臣関係を結んで中国王朝の従属国となった。
中国文明の展開に伴って形成される東アジア世界は次の4段階を推移していった。その第1は中国文明の展開が最初に激動期を迎えた春秋戦国時代であり,冊封体制の原点たる封建制と華夷思想が成立し,周辺地域が中国文明の影響を受けて未開から文明へと移行し国家形成を始める。その第2はこれにつづく秦・漢時代であり,中国の帝国が周辺地域を直接的に支配下に編入するか,冊封関係においた。ここに東アジア世界が初めて形成される。その後魏晋・南北朝時代をへて隋・唐時代にいたって,冊封体制は一元化され中国の制度文物がこれを媒介として伝播していった。東アジアが政治的にも文化的にも一体になった時である。その第3は,唐滅亡以後で,東アジア世界が大きく変容を遂げる。中国の王朝は冊封体制の宗主国ではなく,逆に周辺諸国の遼や金に歳貢をおくり下位に立たされる。しかし経済と文化の面ではいぜんとして東アジアの中心であった。しかも宋元時代をへて明清にいたると,再び中国王朝の政治的影響が強化され冊封体制が復活する。その第4は19世紀以後における東アジア世界の解体である。ヨーロッパ資本主義の形成に伴う世界の一体化は東アジア世界の孤立性を打ち破る。ここに東アジア世界は消滅し,並存した諸文化圏は一つの世界に転化統合される。
〔参考文献〕西嶋定生,総説,岩波講座世界歴史4